共感による連帯と、愛する(=存在そのものを認める)ことはまったく別のことだ。でも、自分の肉体がしっかりと自らの意識で満ちていないと、人はその欠乏を他者との共感で埋めようとする。それはただの自己投影であり、ある種の憑依でもあるのだが、自分の肉体が自分の意識で満ちていない状態だと、人はそうした欠乏に起因する愛着を”愛”だと都合よく思いこむ。
劣等感を失くすには、自分の意識を自分の体の隅々にまでピッチリ入れる。誰にも自分を植民させない。植民もしない。憑依をやめる。
— 木葉功一 (@kibakoichi) February 10, 2021
正直、そういう横の共感みたいなものはみんなロボットに任せてしまいたい。
— つくばね@アニメ勉強 (@8dollblowers) February 10, 2021
人形は好きです。人形は幾らでもつくるけれど、人形にはならないぞという冷たい人形愛。
体から自分成分がはみ出していて、三分の一ほど空いてるところへ、誰かの成分が流れ込んでる。はみ出した自分の成分は、別の人の体の空きを埋めている、という感じ。共感って中身のズレであり憑依だ>欠乏を共感で埋める働きhttps://t.co/CsYidbupXT
— 木葉功一 (@kibakoichi) February 10, 2021