描くことに救われる日々

母を自宅で看取り、膨大な量の死後整理を終わらせ、精神的に燃え尽きてしばし抑鬱状態に陥り、そうするうちに今度はさくらが旅立ち、深い喪失と悲嘆を味わっていた中、母のパートナーも亡くなり、実家も土地も全ての財産を手放し、実父も死に、ようやく楽になるかと思っていたら、更年期による心身の不調が一気にやってきた。 これがなかなかに辛い。日々揺らぐ体調にあわせて過ごすだけで精一杯だし、倦怠感と無気力、そして繰り返し寄せてくる波のような希死念慮を宥めているうちに、何もできないまま時が過ぎていく。 絵を描くペースも落ちていて、描けない日も多い。それでも、少しでも描ける時には、描くことに救われている。数年前、なぜ唐突に絵を描きはじめたのかは自分でもよくわからないが、あの時描きはじめていてよかったと思う。…

光の雨

窓の外の朝の風景をぼんやりと眺めていたら、不意に小雨が降っているように見えた。え?と驚いて道路や向かいの建物の屋根を確認したが、全く濡れていない。しかし、視線を上げてまた少し遠くを見やると、やはり小雨が降っているように見える。でも、視線を近くへ戻すとやっぱりどこも濡れてはいない。 こういう視界を体験するのはちょっと久しぶりだ。以前はよくこの光景を目にしていて、私はこれを「光の雨」と呼んでいた。初めて光の雨を見たのは子どもの頃だったと思う。それ以来、いろんな場所で同じものを目撃してきた。 それは、時にはしとしと降る静雨のようであり、また時には土砂降りのようであったりした。しかし、光の雨は何処でも見えるわけではない。日本では、大きな木がたくさん生茂る古い神社などで見えることが多かった。 【追記】 この体験をFacebookにも投稿したところ、チェコの別の地域に住む友人が、同じ日の朝、同じ光景を見たと知らせてくれた。ということは、あれはこの町だけで見られるものではなかったのかもしれない。…

冬は光が少なくて

今日も空は分厚い雲に覆われていて、午前中ですら室内は薄暗く、絵を描くのが難しいほどだった。冬至を超えて徐々に日が長くなるとはいえ、ここではまだしばらくこんな風に薄暗い日々が続く。 光が少ない冬の間は絵を描くペースが落ちる。それでも、以前のように重い冬季鬱に陥ることはなくなっただけ随分ましだ。…

死神の話

昨日たまたま目に留まった漫画の中に、死神(と呼ばれる何か)を見た人たちの話があった。そして、そのコメント欄には、かなりの数の人から、死神の目撃体験に関する話が寄せられていた。興味深かったのは、どの体験談の中でも、死神は黒い服/スーツを着た男、あるいは黒い人(人影)として現れていたことだ。 私の母も、亡くなる少し前に「玄関に誰かが来ている」と何度か言っていた。彼女のベッドは玄関に直接面した広い居間にあった。実際には玄関には誰もいなかったが、彼女は何者かがやって来たのを感じ取っているようだった。今思えばあの時、どんな人がやって来たのかもう少し詳しく尋ねてみればよかったのかもしれない。 死神の目撃談の中で面白かったのは、死神もたまに人違いをするらしいという点だった。中には関西弁で「えらいすんません、間違えましたわ、ほな!」と消えていった死神もいて、思わず声を出して笑ってしまった。また、死神にも管轄移動があるらしいという目撃談もあり、案外社会的なんだなと感心した。 これらの死神目撃談についてVítに話していた時に、"man in blackで"はなく、"black man"と口について出…