ゆらぎ、あわい、影に漂うもの

昨日投稿したこの絵に対し、思いがけず多くの反応を受け取っている。これは、わたしがこれまでに描いた中で最もスムースに、迷いも苦戦もなく描くことができた一枚だ。 正直なところ、風景を描くよりも遥かに楽しかった。いや、楽しかったという表現は少し違うかもしれない。全体と細部を観察し、慎重に色を選び、徐々に色を重ねていくすべてのプロセスがとにかくスムースで、まるで自分ではないものに導かれ動かされているようだった。 これはつまり頭(小さい自我の思いこみ/固定概念)が邪魔をしなかったのだろう。どんなものを描く時にでもこういう状態で描けるようになるために絵の練習・訓練をするんだなとわかった。 風景を描きたいわけではないし、かといって完全な空想世界を描きたいわけでもないし、いったいわたしは何を描きたいのかと未熟ながらしばらく自問していたが、わたしはゆらぎやあわいに惹かれるのだと改めて実感した。不定形なもの、見えないけれどそこにあるものにいつも惹かれる。言うなればそれは“影”だ。 ピンホール写真を撮り続けているのも多分同じことなのだろう。以前からわたしはこんな風に言っている。"I've been…

47歳で絵を描きはじめて

有名無名を問わず様々なすばらしいアーティストの作品を見て、彼らの経歴を知ると、早い時期から美術/芸術の経験や教育を受けてきた人たちが思いのほか多いことに気づいた。そして、親からの虐待と支配の恐怖から逃れることだけで精一杯で、自分が何をしたいのかなど思う余裕すらなかった自らの過去を振り返ってちょっと悲しくなったりもしたが、それでもすべてこれで良かったと感じている。 というか、結局すべてなるようになっているのだ。もしもわたしが若い頃に絵を描いていたら、承認欲求や他者との比較に苦しんでいたかもしれない。自尊心を回復し、ようやく自分を生きはじめて、社会の中で実現したいことなどないことに気づき、現在の自分の状態とそれにみあった環境にいるからこそ、やっとわたしは絵を描きはじめたのだと思う。 上手く描けるようになるよりも、なるべく自由に描けるようになりたい。結局わたしにとっては絵そのものが目的ではなく、絵を描くことを通して自分の内外の宇宙を探索し、肉体的に死んだ後の地図や道筋を見つけたいのだ。そうして自分のための神話を作りたい。そう思うと、やはりこのタイミングでようやく絵を描くようになったのは当…

ひとつひとつ気づいていく

昨日はPMS(PMDDレベルかも?)の身体症状が強くてあちこちが痛く、少しでも楽になりたくて、心地良く感じられる色を選んで思いつくまま絵を描いていたが、どれも途中で行き詰まってしまった。 新しく購入したClairefontaineのPastelmatは、粉がまったく出ないほどドライパステルを見事にキャッチして発色もすばらしいが、一旦載せた色をぼかすのは難しく、一般的なパステル用紙やMi-Teintes紙との違いに苦戦した。苦戦しすぎてどうにもできなくなった一枚目は、結局水で一旦洗い流した。厚い台紙に糊付けされたタフな紙なので、乾かせばまたその上から違う絵を描くことができる。 気分を変えようと、ストックしておいた画像の中から選んだ風景を描きはじめたが、描けば描くほど「こんなものを描きたいわけではない」と感じ、最後は疲れてしまって、最終的にどの絵も途中のまま放置して眠った。 そうしていつも通り約9時間眠ってたくさん夢を見て目覚めると、身体症状はますます強まってはいるが、放置した絵のひとつについて昨日は思いつかなかったアイデアが浮かんだ。 今になってみればなぜそれを思いつかなかったの…