描くことは見ること

見えていなかったもの(参考写真でもはっきりとは見えていない)が見えるようになり、隠れた部分の構造を明らかに見誤っていたことに気づいたので、半部以上描き進んでいた絵を大幅に描き直している。別紙のスケッチからやり直したのはよかった。 小さな違和感を残したまま無理に終わらせても、それはただの嘘になる。 また、違和感を無理に丸め込んで纏めようとすると、結局は全体が壊れてしまう。 違和感は、自分が何かを見誤ったり、見落としたりしていることを示すサインだ。 描くたびに、見えなかったものが見えてくる。 そうして、自分がいかに“見ていなかった”かに気づく。 それはまた、自分の見誤りや見落とし、さらには、それらを引き起こしている自らの無自覚な思い込みに気づくことでもある。 そうした“自分”の枠が壊れて初めて、わたしは本当に見ることができる。 "Everyone has many associations with a flower — the idea of flowers. You put out your hand to touch the flower — lean…

苦戦と発見の繰り返し

海、特に波打ち際のある風景を描くたびに、自分が波の構造を十分に理解していないことに気づく。そもそも海を存分に眺めたことがないのだから無理もない。海をじっくり眺めに行きたい。さまざま季節、時間、天気の海を観察したい。 数日前から描いている絵の海と波飛沫がどこか不自然に感じられて、描いては修正し、消しては重ねてを繰り返すうちに、まったく違うことを試したくなり、ふと濃い紫色を使ってみたらしっくりきた。違和感を払拭するのに苦心すると、絵の進行は遅くなるが、いつもこうした発見に行きつくのがおもしろい。 海にも空にも、思っているよりもずっと多くの緑と紫が潜んでいる。 後になって、緑と紫の油絵具を混ぜて青い海と空を描くYou tube動画を見つけた。…

能登島の海の水

2022年7月に訪れた能登島の海の水を描いたのはこれで4枚目だが、まだまだ描きたい。 同じ写真を切ったり大きくしたりしては何枚も描きたくなる。 描くことそのものよりも、何を描くかを決めることのほうが難しく、いつもそれに時間がかかる。 描き始めたら、仕上がるまでひたすら描くだけなのだが。…

"Daydream" - The shore in Cancale, 2023

"Daydream" - The shore in Cancale The shore where I stood in a daydream that I had in the metro in Tokyo nine or ten years ago, and where I had been drawing in a dream two years ago, even though I had not yet started drawing. The…