海のそばのアトリエとその主である老画家は

夢の中で海に向かっていた。やがてターコイズブルーの海原が現れ、その中に伸びる大きな長い桟橋を進むと、巨大な船が停泊しているのが見えた。そのうち、海のすぐ側にあるらしい小屋のような場所にたどり着いた。そこははじめは古い木造の小屋だったが、気づけば老画家の家かあるいはアトリエになっていた。小さいながらもよく整えられた、あたたかみのある居心地のいい空間だった。 そこにはたくさんの絵画作品が保管されていた。さらにはいくつもの宝飾品がきれいに陳列され、保管されていた。わたしは自分が身につけていた宝石を外し、テーブルの上のジュエリーケースの空いたスペースに並べた。どうやらわたしはそこに宿泊するのかもしれなかった。 その後場面は変わり、わたしは友人に日記を書くことを勧めていた。「日記を書くことは自分の感覚や感情、考えを認識し、整理するいい方法だ。つまり自分を知るための訓練になる。自分が何をしたいのかを知るにはまず自分を知る必要がある。」というようなことを彼女に向かって話していた。 夢の中で訪れた空間には主である老画家の姿はなかった。思い返すと、わたし自身がその老画家だった気もする。あれは海王星…

父のこと

父を担当しているケアマネージャーさんから突然電話がかかってきた。父が緊急搬送されて入院、転院したが、手の施しようがないと言われたらしいこと、認知症が進んで金銭管理ができなくなったため最近補助人が付いたこと、父の妻とはなかなか連絡つかず、彼女が父に関わるのを拒否していること等の報告を受けた。 父はこのまま亡くなる可能性もあるので、もしわたしが彼に会っておきたいならば急いだほうがいいかもしれないとのことだった。とはいえ、彼女自身も直接父の様子を見たわけではないので詳細はわからないという。補助人の連絡先も教えてもらったので、必要であれば直接彼女に電話をすることはできる。 ケアマネージャーさんとの面会と各種契約内容の確認も兼ねて、高齢者用集合住宅に入居したばかりの父を訪ねたのは昨年11月。やはりいくつか問題が生じていたので、施設の責任者も交えて話し合い、父の妻にも確認を取って、状況は一旦落ち着いた。しかし、わたしはそれ以降の変化は何も知らない。昨年12月以降、何度か父に電話をかけたが、彼は電話に出なかった。どうやら認知症が進んで携帯電話の扱いが困難になっていたらしい。ケアマネージャーさんに…

シンクロニシティ

Instagramで出会って以来たくさんメッセージを交わしてきたポーランドのアーティストが、彼女の誕生日にあわせて夫と一緒にプラハに滞在していると連絡をくれたので、会いに出向いた。これまで既にたくさん言葉で交流していたからか、初めて顔を合わせたとは思えないほどリラックスして話が弾み、3時間が飛ぶように過ぎた。 自身の夢と記憶を元にミステリアスな作品を制作する彼女の元には、「この絵に似た光景を確かにどこかで見たことがある」というメッセージが世界中から届くそうだ。実際にわたしも、彼女が描く絵に説明しがたい既視感や懐かしさに似た感覚を覚えることがある。 彼女とは、絵や写真、文章に関する話題から、タロットカードや占星術、UFOや宇宙人のこと、シュタイナー、グルジェフ、ダスカロス、バシャール、キューブラー=ロスについてなど、終始話題が尽きなかった。彼女は最近ドロレス・キャノンの著書を入手して読み始めたそうで、わたしが6月に受けたQHHTセッションの内容についても話した。 次はぜひポーランドで会いましょうと約束をして別れた。早ければ来月にでも訪ねたいと思っている。…

ものがたり

毎日書けるだけ書いていると1000字ぐらいあっという間に超える。とはいえ後から読み返すと不要な箇所が見つかるので削除して字数は減る。書いているうちに忘れていたような詳細まで思い出したりもして、それが肉体にとっては負担になるのか後で身体にわかりやすい症状が出たりもする。 記憶を物語として書いていると、遺書を書いているような気がしてくる。そして、書いている時は分身を作っている実感が最も強い。…

海のそばにある施設

昨日もまた夢の中で電車に乗って移動していた。新幹線や特急列車のような高速走行する電車で、座席は個別にわかれていた。窓の外には海が見えていて眺めがよかった。わたしは海のそばにあるリトリート施設のようなところへ向かっているようだった。 宿泊先は自分で予約したのではなく、招待されたかあるいは誰かから贈られたらしい。窓の向こうに広がる海を眺めているうちにどうやら眠ってしまったようだ。目覚めると思ったよりも時間が過ぎていて、「チェックインが遅くなるけれど大丈夫かな、連絡する方がいいだろうか」と思っていた。 そして、今朝方も夢の中でまた海のそばにあるらしい施設に滞在していた。同じフロアの別室には勤務先のメンバーも何人か滞在しているようで、廊下で仕事や作業の進捗状況を伝えあったりしていた。実際にはまだ顔を合わせたことのない人もいて、和やかな雰囲気だった。 わたしは一旦そこを離れて別の場所へ出向き、またそこへ戻ってくることになっていた。窓の外には海が見えていて、その部屋がかなり高い位置にあるようだった。空も海もうっすらと霞んでいた。 そういえば、この夢の中にいた人たちはみなわたしと誕生日が近い…

生きるためと死ぬための分身づくり

描いたり書いたりするために生きているのではなく、生きているうちは生きるしかないので生きるために描いたり書いたりしている。 生きるために描いたり書いたりすることが死んだのちの道しるべにもなるだろうという思いもある。だから描いたり書いたりするのは生きるためでもあり死ぬためでもある。 「芸術というのは、みな分身を作ってそこに乗り換えるということだが。人間の目的は、こういうことをするか、あとは死ぬまで暇なので、ひまつぶしをするか、のふたつしかない。それ以外のものはない」と松村潔氏も以前書いていたのを思い出した。…