描きたいと感じる光と影

やっぱり自分が実際に見た眺め、自分がその場で撮った写真を元に描きたいと感じて、過去数年間に撮った写真を見返していた。そうして絵に描きたいと思う写真を選んだところ、その多くが母が死んだ後に日本で撮ったものだった。空の写真、散歩中に撮った写真。当時はまだ太っていたさくらも写っている。 母を看取り、彼女の死を見届けた後の数ヶ月間は、これまでの人生で最も大変で忙しい時間だった。肉体的に限界を感じることも多々あったのを覚えている。当時の写真を眺めていると、日々自己想起を重ね続けたあの頃の感覚や、さくらをチェコへ連れてくる決断を下した前後の感覚などがありありと蘇る。 とはいえ感傷に耽けるようなことはない。多分あの数ヶ月間はわたしが大きく変容した時だったのではないかと思う。あれはまさに自己脱皮、自己変容の時だった。そんな変容の最中の隙間のような時々に撮った写真には、絵に描きたいと感じる光と影が写りこんでいる。 当時の日記やツイートを振り返ると、わたしはあの頃アークトゥルスのことをよく書いていたようだ。夕暮れ時、さくらとともに散歩をしながら、西の空に煌々と輝くアークトゥルスをよく見上げていたのを…

ゆらぎ、あわい、影に漂うもの

昨日投稿したこの絵に対し、思いがけず多くの反応を受け取っている。これは、わたしがこれまでに描いた中で最もスムースに、迷いも苦戦もなく描くことができた一枚だ。 正直なところ、風景を描くよりも遥かに楽しかった。いや、楽しかったという表現は少し違うかもしれない。全体と細部を観察し、慎重に色を選び、徐々に色を重ねていくすべてのプロセスがとにかくスムースで、まるで自分ではないものに導かれ動かされているようだった。 これはつまり頭(小さい自我の思いこみ/固定概念)が邪魔をしなかったのだろう。どんなものを描く時にでもこういう状態で描けるようになるために絵の練習・訓練をするんだなとわかった。 風景を描きたいわけではないし、かといって完全な空想世界を描きたいわけでもないし、いったいわたしは何を描きたいのかと未熟ながらしばらく自問していたが、わたしはゆらぎやあわいに惹かれるのだと改めて実感した。不定形なもの、見えないけれどそこにあるものにいつも惹かれる。言うなればそれは“影”だ。 ピンホール写真を撮り続けているのも多分同じことなのだろう。以前からわたしはこんな風に言っている。"I've been…

47歳で絵を描きはじめて

有名無名を問わず様々なすばらしいアーティストの作品を見て、彼らの経歴を知ると、早い時期から美術/芸術の経験や教育を受けてきた人たちが思いのほか多いことに気づいた。そして、親からの虐待と支配の恐怖から逃れることだけで精一杯で、自分が何をしたいのかなど思う余裕すらなかった自らの過去を振り返ってちょっと悲しくなったりもしたが、それでもすべてこれで良かったと感じている。 というか、結局すべてなるようになっているのだ。もしもわたしが若い頃に絵を描いていたら、承認欲求や他者との比較に苦しんでいたかもしれない。自尊心を回復し、ようやく自分を生きはじめて、社会の中で実現したいことなどないことに気づき、現在の自分の状態とそれにみあった環境にいるからこそ、やっとわたしは絵を描きはじめたのだと思う。 上手く描けるようになるよりも、なるべく自由に描けるようになりたい。結局わたしにとっては絵そのものが目的ではなく、絵を描くことを通して自分の内外の宇宙を探索し、肉体的に死んだ後の地図や道筋を見つけたいのだ。そうして自分のための神話を作りたい。そう思うと、やはりこのタイミングでようやく絵を描くようになったのは当…

ひとつひとつ気づいていく

昨日はPMS(PMDDレベルかも?)の身体症状が強くてあちこちが痛く、少しでも楽になりたくて、心地良く感じられる色を選んで思いつくまま絵を描いていたが、どれも途中で行き詰まってしまった。 新しく購入したClairefontaineのPastelmatは、粉がまったく出ないほどドライパステルを見事にキャッチして発色もすばらしいが、一旦載せた色をぼかすのは難しく、一般的なパステル用紙やMi-Teintes紙との違いに苦戦した。苦戦しすぎてどうにもできなくなった一枚目は、結局水で一旦洗い流した。厚い台紙に糊付けされたタフな紙なので、乾かせばまたその上から違う絵を描くことができる。 気分を変えようと、ストックしておいた画像の中から選んだ風景を描きはじめたが、描けば描くほど「こんなものを描きたいわけではない」と感じ、最後は疲れてしまって、最終的にどの絵も途中のまま放置して眠った。 そうしていつも通り約9時間眠ってたくさん夢を見て目覚めると、身体症状はますます強まってはいるが、放置した絵のひとつについて昨日は思いつかなかったアイデアが浮かんだ。 今になってみればなぜそれを思いつかなかったの…

引越したフラットで前の住人が残したものを見つける夢

夢の中で新しいフラットに引っ越していた。高い層にある広い空間だった。まだがらんとしたリビングルームには大きな窓とベランダがあり、とても明るかった。白っぽい色調で統一された室内は全体的にまだ新しい感じだったと思う。バスルームもかなり広く、高い位置に小さな窓が設えてあるのも良かった。 バスルームに備え付けられた棚の引き出しの中に、前の住人が残していったものが散乱しているのを見つけた。別の部屋に残されたずっしりとした頑丈な作りの木製デスクの引き出しからは、日本語で書かれた開封済みの古い封書がたくさん出てきた。さらに本棚にはかなり古い日本語の六法全書や専門書のようなものが並んでいた。中国の古典文学もあった気がする。 開封済みの封書は公文書やクライアントから届いたもののようで、わたしは前の住人は日本人で弁護士だったのかもしれないと思っていた。隣の部屋の住人が冷蔵庫を掃除して洗ったらしく、ベランダに大きな冷蔵庫を横向けに置いて乾燥させていた。外はとてもいい天気で、わたしは布団を干していた。…