さくらの不在と遍在性

生活の中でことあるごとにさくらの不在を確認させられる。過去の写真や動画を見ては幸せだったと実感し、ただただ感謝が尽きず、Vとともに彼女の話をしては、かわいかったね、おかしかったねと笑ってあっている。しかし、こうして文字にすると涙が溢れて止まらなくなる。 時に猛烈な虚脱感と倦怠感がやってきて、おなかに力が入らなくなり、頭が締めつけられるように痛み、背中が強ばって息苦しくなる。思っていた以上に深い悲嘆を味わい、精神面だけでなく肉体的にも大きなダメージを受けているようだ。 大きなショックを受けるとエーテル体は身体の左にずれてしまうと聞いたことがある。オーラソーマではそれをエーテルギャップと呼んでいた。今の自分はまさにそういう状態にあるのだと思う。初めてバッチフラワーのレスキューレメディを購入してみた。 2020年夏以降、通り抜ける風や、揺れる枝葉に、母のエッセンスのようなものを感じることがあった。今はそれと同じように、形を変えながら流れていく雲や、通り過ぎていく雨や雷の音、光と影のささやかなゆらぎに、さくらのエッセンスのようなものを感じている。…

(Untitled)

長く生きれば生きるほど、先に旅立つ存在を見送る機会も多くなる。それにしても時が過ぎるのは実に早く、地上における一生もあらゆる邂逅もまるで幻のようだ。 シリウスを通ってやってきて、シリウスを通って還っていく。 地上における形は違えど仲間だね。 空から響いてくるアマツバメたちの声を聴いていると、見えない扉が開くようにあの世とこの世の境目がなくなっていく。2020年の夏もそうだった。…

短歌 2023/06/07

であいとはせかいがわたしであることにきづくことそしておもいだすこと…

メタリックブルーの車

夢の中でパーティー会場にいて、他の人たちはみなアルコールを飲んでいたが、わたしは炭酸水を選んでいた。グラスワインが3種類ある場合どれを選ぶかと問われた時にも、アルコールではなく水がいいと答えていた。やがてわたしはその場を後にし、ポルシェに似た流線型の車を運転して移動した。 車の色はメタリックなライトブルーで、助手席には知らない女性(夢の中では知り合い)が乗っていた。建て替えられる前の古い実家(母方の祖父母の家)の前に到着すると、そばに建つ家から出てきたばかりの知人がスーツケースを手にして立っていた。彼女はこれから3泊4日でインドへ行くのだという。 わたしは古い木の扉がついた倉庫のような場所に車を停めて(そこで車はなぜかバイクに変わり、わたしは屋根がある範囲にそのバイクを置いた)、別の場所に駐車してある白いセダン車で、彼女を駅まで送って行くことにした。…

乗り換えが分からなくなる夢

夢の中でまた乗換がわからなくなり駅員にどうすればいいかと尋ねていた。駅の様子は違えど同じシチュエーションの夢をたまに見る。だいたいいつも終電間際で、帰れなくなるかも?と少し焦っている。焦りながらも、そうなったら近くに宿を探すか、駅で夜を明かすしかないなと半ば腹を括ってもいる。 その駅は、わたしが帰る(向かう)場所からは離れた郊外あるいは地方都市にあり、わたしは駅名にも周辺環境にも馴染みがなく、どういうルートがあるのかもよくわからない。駅そのものはそう大きくはないが、乗継が複数あるようで、縦に入り組んでいて階段がいくつもある。 今朝方の夢では、その駅から少し歩いた先に新幹線の駅があるようで、その終電に間に合うかもしれないと考えていた。…

シベリウス 交響曲第7番

友人から、シベリウスの交響曲第7番が演目のひとつとして予定されている公演のフライヤーに、絵か写真を提供してもらえないかという依頼を受けた。すぐに交響曲第7番を繰り返し聴き、これまでに描いた絵や撮った写真をすべて見返してみたが、これだ!と感じられるものが見つけられなかった(当然ながら写真も絵もチェコの風景が多く、これではシベリウスではなくスメタナになってしまう…と思った)。 そこで、曲を聴いているうちにイメージの中に広がっていく色彩、影と光を、新たに描いた。依頼を受けた時からそうする方がいいのはわかっていた。すばらしい音楽を聴いてその印象やイメージを絵に描くのは、新鮮で愉快だった。思いがけない機会をもらい、新たな境地を味わうことができた。…