死んだ知人と久しぶりに会う夢

少し久しぶりに夢の中で数年前に亡くなった知人に会った。わたしたちは洒落た居酒屋のような店で待ち合わせていたが、同じテーブルには座らず、縦向きと横向きに配置されたカウンターのそれぞれの端に座っていた。彼女が座ったカウンターの中では彼女の夫が働いているようだった。 わたしの近くには共通の知人が2人現れ、1人は現在畑で野菜を栽培していると話し、自分で作った野菜を持参していた。死んだ知人が座っているカウンターの方から、「美味しいからぜひ食べてみてほしい」と、生の大根と蓮根とズッキーニを混ぜあわせたような白っぽい野菜が回ってきた。既に何人かの歯型がついていたので、わたしは反対側を齧った。 わたしはそこでうとうとしてしまったらしい。ふと気づくと、死んだ知人も共通の知人たちの姿も消えていた。死んだ知人の夫だけは姿が見えたので、言葉にはせずに目で尋ねたところ、死んだ知人は既に帰ったとのことだった。 夢の中では会話は言葉で交わすのではなく、思い浮かぶことが直接伝わっていることに気づいた。そしてやはり、死んだ知人の姿形は見えなくて、でもそれが彼女であることは明らかだった。 別の夢かあるいは別の場面…

アンタレス・マトリクス、エーテル体の旅案内

ヒアデスの夢について書いた別の記事に「アンタレスを中央駅としたエーテル体の水先案内」と書いたが、つまりそれはアンタレス化だ。天の八衢、ヘルメス化。アンタレスとの繋がりが強いわたしの海王星はここに使える。実際に夢や水晶スクライイングや絵を描くという方法で既に使っている。 2年前に書いた夢を題材にしたこの詩の内容が繋がってきた。9つのホタテ貝はアンタレスを中心とした8方向、アンタレス・マトリクスであり、生命の樹のティファレトだ。ホタテの貝殻は肉体で、中の白く柔らかい貝柱だけを食べるのはエーテル体で旅をするということ。…

海辺の行楽地ヒアデス

夢の中で砂浜の上に作られた屋外カフェのような場所にいた。空はよく晴れていて、砂浜も海もきらきらと輝いていた。同じテーブルには母がいたように思う。さらに母方の祖父母もいたかもしれない。 わたしは何か用事のために出かけることになった。母方の従弟が先導していたが、彼が案内する道は尖った葉を持つ木々が繁っていて歩きにくく、わたしは少し下った川沿いの土の上を歩いた。従弟は妙な服装をしていて尻が露出していた。 地下鉄の駅のようなところに着き、切符を購入しなければならなかった。そばにいた従弟と伯母に何処へ向かう切符が必要かを尋ねたが、彼らはわからないようだった。仕方ないのでわたしは表示にあった複数の中からひとつの行先を選んで切符を購入した。 場面が変わり、わたしはまた母や祖父母と共にいた海辺へと向かっていた。その場所はいわゆる行楽地のようで、たくさんの人たちが同じ砂浜へ向かっていて道はかなり混雑していた。近くにはドライブインのような建物もあった気がする。崖の下に広がる海はやはりとてもきれいで、いい眺めだった。 ヒアデスに行ってみようと決めて眠った後に持ち帰った夢の記憶。夢の中でプレアデス…

絵画と宇宙人

魚座の新月から昨日の乙女座の満月あたりまでに起きたことが(土星が魚座に移動し、春分を迎えるに当たって)今後自分がどのような分野や人々と交わり関わっていくのかを示唆するとすれば、それは絵画とUFO/宇宙人かもしれない。 1月末あたりから、画家/絵を描く人たちとの出会いと交流が一気に増えた。さらには、思いがけずUFOコンタクティからメッセージやコメントを受け取り、さまざまな体験談を読んでいる。その中の一人に勧められて、映画『未知との遭遇』を初めて観ることにもなった(わたしはあの映画が人類とUFO・宇宙人との遭遇を描いたものだとはまったく知らなかった)。 わたしはUFOにそう強い興味はなかった(と思う)ので、この展開はちょっと意外だった。今でもUFOを見てみたいという欲求は薄い。肉眼で目撃する必要はないと感じている。とはいえ、夢の中で内的宇宙を探索したり、太陽系外への脱出を試みたりはしているし、ドロレス・キャノンの著書を読んだり、ロバート・モンローやリサ・ロイヤルの著書にも関心が出てきているので、当然の成り行きではある。 昨日は、やはり絵を通じて知り合った隣国の画家から、彼女と彼女の夫…