自我という膜を超えて

身体が眠っている間、精神は肉体という制限を超えて自由に旅をしている。そうして精神は、個々の分離や時空の制限を超える体験、地を這う肉体に閉じた自我の理解を超える体験をしている。実際の感覚としては、精神が肉体という枠からはみだして自由に広がっていくようだ。 だから、夢を見ている時に無理やり起こされるのは不快だ。せっかく肉体という枠をはみだして地上の自我を超える宇宙を味わっていた精神が、突如また肉体に引き戻され、閉じ込められてしまうからだろう。時にはショックのあまり、目覚めた後も呆然として、一体何が起きたのかとひどく動揺してしまうこともある。 夢を途中で妨害された時のあのショックを味わうたびに、現実と夢、ひいては生と死(眠りを肉体の仮死状態としてみなした場合)を切り離し、一方だけを重視するのは間違っていると思う。夢を単なる脳のはたらきとしかみなさずに軽視するのは、半分しか体験していない=半分しか生きていないようなものだ。 眠りの間に見ている夢そのものは、肉体に属する個の自我を超える体験だが、目が覚めた後に残る夢の記憶は、既存の知識や経験に基づいて“理解したがる”自我によって編集され…

個としての自分と、集合体の一部としての自分

わたしが、現在所属している企業のはじまりからこれまでの動きを眺めるたびにおもしろいなと思うのは、この組織が、個人の都合や目的を超える“何か”の意志によって動かされているように感じられる点だ。 もちろん、最初に発案者がいて、そこに参加し協働したい人々が集まってきて現在の状態があるわけだが、その最初のアイデアすら、“見えないどこか”からもたらされたもののように思える。アイデアそのものがまず在って、それ自体が発案者を通して発現することを選んだという風に見える。 そして、そのアイデア自体が、その時々の必要を選んで引き寄せ、課題や変化の機会をもたらし、用が済んだものは手放していく。まるで姿の見えない赤子が中心にいて、その赤子の意志がすべてを動かしているようだ。わたしもまた、その意志によって呼び寄せられ、自発的にその展開に巻き込まれている。 だから、わたしは、自ら望んでこの組織に所属していると自覚すると同時に、“個を超える大きな意志をもつ何か”が、わたしをその一部分として選んでここに配置し、機能させているとはっきり実感している。 どんな組織も実は似たようなもので、それぞれに集合体として…

隕石がやってきた

ポーランドの友人から、Leszek Możdżerの新作CDアルバム2枚と、2つの隕石がギフトとして届いた。隕石が手元にやってきたのは初めてだ。 既に贈る予定だったギフトと一緒に、わたしからも彼女へ美しい石を贈りたくなり、まるで銀河が点在する宇宙のような色のアフガナイトを購入した。 彼女とはまだ一度しか会ったことはない。だが、今回わたしが、立て続いた家族の死と、厄介な親族との交渉事と、実家の処分を終えた後、鬱状態に陥っていた間に、「あなたの状況を思えば不思議ではないよ、返事は無理をしなくていい、でも、もし話がしたい時があればわたしはいつでもここにいる」と言ってくれた人だ。…

冥王星が水瓶座へ

ある人との対話の中で語った、冥王星の移動から見る地上世界の情勢変移が割とうまくまとまったので、ここにも書いておく。 冥王星という、西洋占星術に用いられる主要な天体の中で太陽から最も遠い惑星が、昨年から今年にかけて、星座間を行ったり来たりしながら次のサインへ移動しようとしています。冥王星は、短期的な移ろいとは異なる、根本からの変容と徹底を象徴します(時間をかけて成される根源的な破壊と再生の象徴)。 冥王星は2008年から山羊座を進行していました。現在は、山羊座と水瓶座を行ったり来たりしながら、いよいよ本格的に水瓶座へ移動していきます。今は、これまで約16年ほど続いた時代が終わりを迎え、次の約20年間へと移行する時代の節目です。 特に昨年と今年は、「過去15~6年の間に起きた根本的な変容と刷新の中で、未だ解消されずに残っているが、これから先には不要なもの/そぐわないもの」がいよいよ破綻・終焉を迎える時期です。 長く続いた既得権益や、歴史的経緯や慣習によって守られてきたこと、閉ざした風通しの悪い仕組みには、刷新せざるを得ない機会が押し寄せるでしょう。過去の経験や習慣にこだわる態度は行…

久米島、畳石

昨夜もまたGoogleマップで沖縄の離島を見ていた。久高島と、もうひとつ、その名に惹かれて気になっているのが久米島だ。そして、久米島の畳石の写真を見て驚いた。以前に夢の中で訪れた、六角形の大きな石が敷き詰められた海岸にそっくりだった。 神と神の対面、白蛇の姿をした龍神、石に刻まれた半人半魚夢の中で、わたしは東アジアのどこかにある国の聖地を訪れていた。そこは巨大な岩の中にある空間で、奥には小さいながらも豪華な祭壇が設けられていた。そして、色鮮やかな衣装を身に着けたシャーマンがいて、特別に許可された祭儀を担う人々が集まっていた。 わたしは、その地の神に願い事をしに来た人々を案内する通訳的な役割を担っているようだった。橋本聖子氏がメンバーの中にいた気がする。事前に交渉は成立していたが、相手側は直前になって、何かが足りないので神を呼び出すことはできないと言い始めた。その裏には政治的な駆け引きがあるようだった。 わたしは「話が違うではないか」と怒り、それならば、わたし個人のために神を呼び出すようにと要求した。そうして儀式がはじまった。 相手側の神は半人半魚の姿をしていた。わたしはわたしで、自分…

海の印象

普段わたしは眠れないということが滅多にないのだが、一昨夜は横になったまま一睡もできず(せず)に朝を迎えた。とはいえ気分の落ち込みや無気力感はなく、頭は少しくらくらしたけれど、そのまま仕事をし、通常より多くの人とやり取りを交わした。そうして夕方から7時間+7時間眠った。 一昨日は夜通し横になったまま、次に日本へ行く時にはどういうスケジュールで滞在し、どこを訪れようかと思いながら、地図を眺めていた。そして、ふと沖縄が気になり、よさそうな海岸や離島を探しているうちに、久高島へ行くのもいいなと思い立った。そして今日は、夢の中で美しい海を訪れたような感覚、あるいは海そのものの印象が残っている。 昨年12月半ばにすっかり燃え尽きてしまって、しばらく鬱状態に陥り、また風邪をひいて発熱したりもして活動が落ちていたが、今日は心身ともすっきりしている。ようやく絵も再開できそうだ。思えば、誕生日前の1~2月は毎年活動が低下する。これもわたしのバイオリズムなのだろう。…

古い日本の城郭のような建物、布団の中の死体の夢

太く丈夫な植物で作られた大きなジャングルジム(のような入口)を登ると、古い日本の城郭のような建物に辿りついた。わたしは、ガラス造形作家の知人とともに上階へ向かった。最上階にある床張りの部屋で、知人は素っ裸になってくつろいでいたが、わたしはあまり居心地がよくなかったので、その建物から出ることにした。 わたしは急勾配な木の階段を下り、一階の回り廊下を歩いた。建物の中は薄暗く、どこかしら不気味な雰囲気が漂っていた。廊下に面した各部屋には一組ずつ布団が敷かれ、いくつかの布団の中には死体が横たわっていた。どうやらそこは霊安室あるいは墓場のようだった。わたしは急ぎ足で廊下を抜けて建物の外へ出た。…

新しいパスポート

昨日は、プラハの日本大使館で新しいパスポートを受け取ってきた。来週はまた電車に乗って、個人データの更新のため移民局へ行かねばならぬ。十年など瞬く間だ。 日本大使館があるマラー・ストラナも観光客で溢れていた。2023年に海外からチェコを訪れた人の数は、コロナ禍前を上回ったそうだ。昨年10月に日本からやってきた幼友達にプラハの街を案内したが、確かに、2018年に別の友人を案内した時よりも明らかにどこも混雑していた。中心部では予約無しでは席が見つけられないレストランやカフェも多かった。 2020年に母が亡くなり、さくらをチェコへ連れて来ることを決意して、わたしたちはプラハを離れ、現在住んでいる街へ引越した。それ以来、プラハを訪れるたびに、あの時のあの決断は実によかったと実感している。…