歯科での長期治療が始まった

ようやく今日から本格的な歯科治療が始まった。今後は、クリニックを初めて訪ねた日に応急処置を施してくれた歯科医とは別の医師による治療を受けることになった。大学でも指導しているという女性の歯科医で、英語で対応してもらえる。丁寧な説明に加え、わたしの希望や不安もしっかり聞いてもらえて安心した。 初診時に「抜歯しかない」と言われた2本の大臼歯について、なるべく抜かずにできる限り活かしたいと話したところ、デンタル撮影の結果、再根管治療ができそうだと言われた。ただ、それでもやはり10年ほど後には抜歯するしかなくなるだろうとのことだが、たとえ数年間でも自分の歯を残せるならその方がいい。 一度の治療にかかる時間は約1時間半。マイクロスコープを使った精密な歯科治療を受けたのは今日が初めてだった。常に予約がびっしり詰まっていて、次回の治療まで約2ヶ月待たなければならないが、どのクリニックも同じような状況なので仕方ない。かなり時間はかかりそうだけれど、じっくり治療に取り組んでいく。…

怪奇現象が起きる夢

今朝方見た夢で怪奇現像が起きていた。わたしは、随分昔に付き合っていた男性と知らない部屋にいた。室内は薄暗く、既に日は暮れているようだった。突然天井のあたりからからラジオか何かの音が流れ始め、不審に思って上を見ると、ぶら下がった電灯が何かによって無理やり捻じ曲げられるように動いて形を変えた。 わたしは怖くはなかったが、なんとかしなければと思い、見えない”何か”に向かって「何者なの?何がしたいの!?」と問いかけながら、手元にあった板のようなものを頭上に掲げて片手でぶんぶん振った。…

ピンホール写真を撮る意識状態

今日もピンホールカメラは持って出ていたものの、結局プラハにいる間は写真は撮らなかった。先日、歯科治療のためにプラハへ出向いた時も、やっぱり写真は撮らなかった。 プラハでは、ごく限られた場所以外、ピンホール写真を撮りたいと思わなくなっていることに気づいた。撮れないというか、撮る状態になるのが難しい。おそらく、ノイズが多くて、着地しない所謂”リリス”状態になることができないのだと思う。安心して輪郭の中と外を行き来することができないのだ。 ピンホールカメラではなく、一眼レフカメラでなら撮れるのかもしれないが、撮れないのなら撮らなくてもいいと思っている。…

同僚たちとの久々の再会

久しぶりにプラハのオフィスに出向いたところ、一人を除く他のメンバーもオフィスにいた。誰もいないだろうと思っていたので驚いた。彼らとは昨年3月のロックダウン以降顔を合わせていなかったので、随分と話が弾んだ。 ターボルでの生活について聞かれたので、「南ボヘミアのゆっくりとした時の流れと豊かな自然環境にすっかり馴染んでしまって、たまにプラハに来ると、人が多くてびっくりする。都会だなあ、忙しいなあと感じる。」と答えた後、さらに「わたし、チェコに来る前は東京に住んでいたというのにね。」と言ったら、みんな笑った。…

物理的な移動ではなく

日本にいた頃はいつもあんなに旅に憧れていたのに、最近は旅への欲求も随分と減った。訪ねてみたい場所は今でもあるし、会いに行きたい人もいるけれど、以前ほどの強い思いはなくなった。行くべき場所にはいずれ行くだろうし、会うべき人にはいずれ会えるだろうから、それで十分だ。 思うに、あの熱烈な旅への憧れは、自分が身を置いていた場所や社会からの逃避または脱出への欲求だったのではないか。立場、役割、関係、要するに”自分”という「おはなし」をリセットしたかったのかもしれない。社会内相対的自己が自分だと思いこんで生きていれば、そうなるのも仕方ないだろう。 しかし、社会の中の相対的自己を自分だと思いこんでいる限り、どれだけ旅を重ねて”リセット”したところで、それは「おはなし」の入れ替えでしない。いくら場所を移動し、身を置く環境を変えたとしても、結局は横軸のバリエーション増加でしかないので、ますます旅を求め続けるというスパイラルすら生じそうだ。 今となっては、自分が暮らしているこの小さな街の中ですら、一生撮り続けても終わりがないものに溢れていて、それに専念しているだけであっという間に肉体的な死がやってく…