「自分がない」と人は暴力的になる

一昨日、父が酒に酔った状態で電話をかけてきた。「どうしたの?」と尋ねると、彼は「あんたが何度も何度もうんちゃらかんちゃら、それで心配して電話したんや!」と捲し立てるように言ったが、わたしには聞き取ることができなかった。何度尋ねても彼の言うことはよく分からなくて、会話にならなかった。

「酔っているよね?何を言っているか分からないのだけれど、『何度も何度もわたしが何かを言った』というのは事実ではないし、それはあなたの記憶違いではないの?」と冷静に尋ねたところ、父は「そうか、そうか」と少し正気を取り戻したようではあったが、その後もやはり会話はほとんど成立しなかった。

相変わらず、わたしの感情はまったく動かなかった。ただ、父はやはり「自分がない状態」だということがよくわかった。彼は、誰かとの関係や、過去や思い出といった「おはなし」に閉じ籠ったまま自分を持たずに生きている。自分がない彼は、当然ながら他者との境界も曖昧なので、強烈に依存的で暴力的だ。

自分を持たずに立場や役割を生きてシステム化すると、人は依存的かつ暴力的になる。そして、その暴力は自分と他者の両方へ向かう。自分がないのはとても暴力的なことだ。父は、わたしの言葉を遮りながらわめくように喋りつづけた。きっと彼は、自分自身に対してもずっと同じようにしてきたのだろう。