友人との再会で

10年以上前からわたしが自分で自分を解放してきた過程をずっと見ていた友人と会った。 自分に退屈し、行きづまり、野垂れ死にを覚悟してすべてを放棄し、自我を破壊して再構築してきたプロセスは、今になってみれば苦しみでも何でもなくおもしろい経過だった。 友人から「この人は死んでしまうのではないかと感じることもあった」と聞いて、自分がそんな風に見えていたことを初めて知った。そして「あなたは逞しい(逞しくなった)」と言われた。 わたしがそれまで無意識に信じこんでいた自分という物語を徹底的に破壊し再構築するのにふさわしい環境に運ばれたのは、運がよかったからだけでなく、わたしが常に余白を残し、そこに流れ込んでくる違和や未知に対して自分を開いていたからだと思う。 物質的存在は環境から大いに影響を受けている。どれだけ強い信念を持っていても、身を置く場所や社会からの影響を完全に無くすことはできない。むしろ、信念が強ければ強いほど、抗い闘わねばならない機会は増す。そう思うと、わたしは野垂れ死にを決意した時点で闘うことをやめたのかもしれない。 闘うことをやめ、社会的に生き延びることをあきらめて、自分を…

夢の中の旅先のジャズ喫茶

夢の中でわたしはまた旅先にいて、地下にある古い大きなジャズ喫茶あるいはジャズライブハウスを訪れていた。時は大晦日または元旦のようだった。中には数人の客がいて、彼らと何か話した気がする。その店はその日を最後に閉業するとのことで、経営者の女性二人はにこやかに店じまいを始めていた。…

生が破綻してはじめて人生は始まる

一切の期待を手放してようやく人生は始まる、という言葉が不意に頭に浮かんだ。他者に対しても、自分に対しても、何事にも一切期待をしないところまで到達あるいは“絶望”して、ようやく自分を生きることは始まるのではないか。 「生が破綻した時に、はじめて人生が始まる」という車谷長吉の言葉を思い出した。 誰かや何かとの関係の中にある自分、相対的な自己を生きているだけでは、人生は一生始まらんわな。むしろそうしたすべてをあきらめて、喪失あるいは放棄してからがようやく始まり。…