父からの電話

父から電話があり、現在住んでいるアパートを出て近くの高齢者住宅に引越すという報告を受けた。以前にわたしが提案したとおり、わたしが受取人になっていた生命保険は既に解約し、そのお金は今後の生活資金に充てるとのことだった。彼は電話口で「ありがとう」と繰り返していた。 わたしがまだ幼かった頃、父は勤務先の資金を使いこんだ上に借金を残して行方をくらました。その後も彼は借金を重ね、やがて両親は離婚した。幼少期の数年間以外、わたしは彼と共に暮らしたことがない。彼は確か二十年ほど前に現在の配偶者と再婚したが、飲酒癖やDVが原因で同居を拒否されている。わたしは彼の配偶者のことは殆ど何も知らない。 5年前の祖母の死後、相変わらず自滅的な言動を繰り返す父に、わたしは「いい加減にあなたは自分で自分を引き受けなければならない。先に死んだ家族という物語にどれだけ逃避しても、自分自身からは決して逃げることはできない。あなたは自死した自らの父親と似た道を選びたいのか?」と厳しく問うた。 そうして、新たに借金を作ろうとした彼を阻止し、彼が祖母から相続した不動産の売却を手伝い、新しい生活へ踏み出すよう促した。あの時…

思いを超える、自分を超える

会社勤めなんてもう二度と無理だと思っていたけれど、現在わたしは会社員をしているし、一人でいるのは楽だしOCDもあるので誰かと一緒に暮らすなんて二度と無理だと思っていたけれど、今では5年以上Vと共に暮らしている上にさくらも一緒にいる。事実は常に自分の(過去の)思いからは外れている。そんなものだ。 そんな風に事実を味わうにつれ、“思い”をあまり抱かなくなった。人生は思い通りになるとかならないとかというものではなく、むしろ、いかに自らの“思い”から外れていくかというプロセスかもしれない。自らの思いから外れていくのは、思いを超えてより自由になることであり、それは小さな自己を脱してより大きくなることともいえる。…

回想

20年以上も前に付き合っていた人たちが夢に現れることが続き、すっかり忘れていたようなことを思い出したり、当時のわたしは本当は傷ついて悲しい思いをしていた自分自身を認められなかったし受け入れられなかったのだなと改めて振り返ったりしていた。 思えばあの頃は付き合っていた相手から酷い扱いを受けたことも多々あったが、あれはわたしがわたしをそういう風に扱っていたということだ。自分を蔑ろにして痛めつけていた。自尊心があまりに低く、感情も感覚も麻痺していた。 「あんなこと、今なら即座に拒否したり、反論・反抗したりしただろう」と想像してすぐ、今はもうそもそも他者とあのような関係にはなり得ないと思った。当時と今とではわたし自身の状態があまりに違う。時折こうして不意に過去を振り返るたびに、あれらはまるで別人格の過去世のようだと感じる。…

三人の父と菩薩の顔が刻まれた小さな石橋

夢の中で、高層ビルの最上階からエレベーターで地上へ降りた。すると隣に父がいて、わたしたちは共に歩いた。夢の中の父は実際よりも老いていて、腰はすっかり曲がり脚が不自由なようだったが、まるで古い機械を直すように自らの手で骨盤をコツコツ叩いて調整しながら驚くほどの速さで歩いていた。 少し離れたところには、青年時代の父と、さらにはもう一人別の姿をした父もいた。年老いた父と共に歩いていると、道路に小さなアーチ形の石橋が架かっているのを見つけた。うっすらと苔むした石橋の端には美しい菩薩の顔が刻まれていた。橋の向こう側には廃墟のようにも見える高いビルが建っていた。 ビルの横にはずいぶん昔に廃線になった高架の跡が錆びついて赤茶けた状態で残っていた。わたしは「子どもの頃はよくここにきてこの橋を渡った」と一人で懐かしんでいた。そして刻まれた菩薩の顔をみながら石橋の上を行ったり来たりしているうちに、父はどこか建物の中へ入っていき姿が見えなくなった。…