被害者と加害者という陰陽

ロシアによるウクライナ侵攻と現状、ロシア軍撤退後の惨状、それらに対する様々な人々・国々の反応、そして身近なチェコの人たちの冷静とも感じられる眼差し…等々を見つめながら ― 被害者意識が暴力・加害に繋がることを改めて思う。“被害者”としての強い不満や鬱屈が加害を正当化させる。被害と加害は一つの中の陰陽だ。 個々の内にある被害者と加害者という陰陽は、集合的無意識の中の終わりなき加害と被害の連鎖に繋がっている。逆もまた然り。 救いがないね。終わりがない。誰が加害者をどう裁こうと、加害者がどのように罰されようと、それは一時的な対処に過ぎず、被害者と加害者という陰陽から抜け出さない限り、どこかでまた同じことが起こり、延々と繰り返される。“全体”が陰陽を脱するまで延々とだ。 個にできることといえば、自らの内なる被害者と加害者を認め、その陰陽から脱すること、即ち自己の分離を統合することだけだ。それも、上位へ上位へと意識的にひたすら脱し続け、統合し続けていく必要がある。 フラクタル。…

さくら、さくら

今日は再び断薬後のさくらの状態を診てもらうためにオンコロジストがいる動物病院へ。検査の結果、担当の獣医から「すばらしい!すべての数値が良くなり、まさに(減薬・断薬・食餌改善を開始した時に)目指していた状態です!」と言われ、ますます安心した。 ちなみに、さくらは日本にいた頃より約4kg痩せて、すっかりスリムないい体型にもなった。 一昨年の秋に、さくらをこの地へ連れてきて本当に良かったと改めて思う。母は癌が見つかるよりも前から「(自分に)もしも何かあったら、あなたがさくらをチェコへ移住させて面倒見てよ」と冗談半分に言っていたが、あの頃はまさか本当にそうなるとは思っていなかった。今ではさくらは、すっかりわたしたちの大切な家族だ。…

川の東側にある城のような家、ナイル川

夢の中で新しい家に引越したかあるいは引越すことになっていて、その家の周辺を確認しに出向いていた。新しい家は高層マンションのようででありながら、外壁にはたくさんの凝った装飾が施されていて城のような外観をしていた。隣には、日本の古城または古い寺院のような豪邸が建っていた。 街並みはどこの国とも言い難い様子で、まるで知らない光景なのに、どこか懐かしくも感じられた。近くには南北に流れる大きな川があり、新しい家は川の東側にあった。わたしは川の西側から川を渡ってその場所を訪れていた。夢から覚めてすぐ「ナイル川」と頭に浮かんだのが印象に残っている。…

記憶

Facebookのタイムラインに日本の各地で撮られた桜の写真が流れてくる。満開の桜の花の下さくらを連れた母の後ろ姿を見ながら中濠の周りを歩いた時の光景を、ふと思い出す。あの日わたしは「いつかこの光景を懐かしく思い出すだろう」と思っていた。あれはチェコへ移住する少し前、20数年ぶりに母とともに暮らした短い時間の記憶。…

高層階の部屋、向かいのベランダから見上げてきた少女、青空に輝くる星

夢の中でまた、とても高い場所にある広い空間で暮らしていた。Vとさくらも一緒にいた気がする。わたしの誕生日祝いとして届いた置物をどこかに飾ろうとしていた。たくさんの花の装飾がなされた陶器のような大小の置物で、贈り主はわたしが日本で最後に勤務していた会社の従業員の人々だった。 一旦は洗面台の横に置いた小さい方の置物を窓辺に移動させていたら、窓の外の下方にある建物のベランダにいる女の子と目が合った。そこでわたしは、彼女が、現在自分が働いている会社のスタッフの娘だとわかった(実際には多分その人に娘はいない)。彼女はベランダのクリスマス飾りを片付けているようだった。 彼女は興味深そうな様子でこちらを見上げていたが、わたしはあまりじっと見てはいけない気がして何気なく視線を外した。そうして別のもっと大きな窓の前へ移動し、空を見上げた。そこはかなり高い位置のようで、地表ははるか遠く、雲がすぐ近くに見え、青空なのにたくさんの星が光っていた。…