三人の父と菩薩の顔が刻まれた小さな石橋

夢の中で、高層ビルの最上階からエレベーターで地上へ降りた。すると隣に父がいて、わたしたちは共に歩いた。夢の中の父は実際よりも老いていて、腰はすっかり曲がり脚が不自由なようだったが、まるで古い機械を直すように自らの手で骨盤をコツコツ叩いて調整しながら驚くほどの速さで歩いていた。 少し離れたところには、青年時代の父と、さらにはもう一人別の姿をした父もいた。年老いた父と共に歩いていると、道路に小さなアーチ形の石橋が架かっているのを見つけた。うっすらと苔むした石橋の端には美しい菩薩の顔が刻まれていた。橋の向こう側には廃墟のようにも見える高いビルが建っていた。 ビルの横にはずいぶん昔に廃線になった高架の跡が錆びついて赤茶けた状態で残っていた。わたしは「子どもの頃はよくここにきてこの橋を渡った」と一人で懐かしんでいた。そして刻まれた菩薩の顔をみながら石橋の上を行ったり来たりしているうちに、父はどこか建物の中へ入っていき姿が見えなくなった。…

ポルトガル、海、フェルナンド・ペソアの夢

わたしの意識と人生が大きく転換するきっかけとなった2014年の旅の記憶が不意に蘇り、ポルトガル再訪を考え始めてからというもの、ポルトガルに纏わるものや話が寄せくるように現れる。 先日、階下のカフェのショーケースにパステル・デ・ナタらしき菓子を見つけた。スタッフは名前が思い出せないようだったが、「パステル・デ・ナタ?」と聞いたところ「それ!」と返ってきた。このタイミングにチェコのカフェでポルトガル菓子に出逢うなんてなんとも奇遇だった。 今日は、美容院に置いてあるそう多くはない日本語雑誌の中に『madame FIGARO japon』のポルトガルを紹介した号を見つけた。さらに、美容師さんもちょうど来月ポルトガルへ旅をする予定だと聞いた。偶然の一致に驚き、話が弾んだ。 2014年の旅でお世話になったポルトガル在住の友人と話をしながら、あの旅の前にフェルナンド・ペソアが夢に現れたことを思い出した。実際には、彼は眠りに落ちるか落ちないかのあわいの中に現れ、わたしに何かを託していった。「これを書かねば」という強い衝動が沸き起こったが、結局わたしはそのまま眠りに落ちた。その後に見たのは海に浮か…

夢か現か

午後遅めの時間にまったく予定していなかった店で昼食を食べることになり、残り少ないランチメニューの中からボロネーゼパスタを選んだ。普段なら確実に選ばない料理だが、他に食べられそうなメニューがなかったのだ。やがて運ばれてきた皿を目にした瞬間、白いTシャツにボロネーゼソースの染みを付けてしまう夢を見たことを思い出した。 わたしは夢と同じく白いTシャツを着ていた。急いでいて、引き出しの一番手前にあった一枚を掴んだのだから仕方ない。夢の場面を繰り返さないよう、わたしはかなり慎重にゆっくりとフォークを使い、無事に染みを作ることなく食べ終えた・・・はずだった。数時間後、自宅に到着する直前にふと右の胸元に視点を落とすと、そこには点々と小さなオレンジ色の染みが飛んでいた。 結局夢で見たとおりになってしまった。いや、果たしてあれは夢だったのか、それとも一瞬未来を垣間見たのか、はっきりしない。白いTシャツにボロネーゼソースの染みが付いてしまった場面以外は何も覚えていない。白いTシャツを着ていたのが自分だったのかすら曖昧だ。まるで時が巻き戻されて、同じ場面を二度味わったかのような出来事だった。 明日…

さくらの寝息を聴きながら

3年前、母が手術を受けて入院していた間、日本に滞在していたわたしは、さくらと一人&一犬だけで二週間ほど過ごした。昨夜隣で眠るさくらの寝息を聞いていたら、あの日々がふと思い出された。あの頃はまだ、その翌年にはチェコでさくらとともに暮らすことになるなど想像もしていなかった。 2019年11月、わたしはこのように書いていた。 > 「犬との生活は愉しい。手間も労力も必要だけれど、それもまた楽しい。クークーと寝息を立てる犬のそばで眠る日々もあと数日で終わりかと思うと、ちょっと寂しい。」 > 「犬の寝息を傍で聴きながらこれを書いている。彼女を置いてここを去る日のことを思うと切ない。きっと数ヶ月後にはまたここへ戻ってくるけれど、それでもやっぱり彼女と離れるのは寂しい。」…