薄暗いバーで酒はもう要らないと実感する夢

今朝見た夢では、わたしは昔の知人に連れられて隠れ家のようなバーを訪れていた。ほんのりとピンクあるいは紫がかったその薄暗い空間にはたくさんの人が集っていた。昔の知人は店主(彼は鮮やかな緑色のシャツを着ていた)をよく知っているようで、彼らは親しげに挨拶を交わしていた。 やがて昔の知人がオーダーしたらしい特別なボトルがいくつか運ばれてきた。彼が「これはチェコでは見つけられないでしょう」と言い、それを聞いた店主は少し訝しげな様子でわたしの顔を見ていた。人々はみな酒を飲んで楽しそうに歓談していたが、わたしは自分はもう酒という嗜好品をまったく欲していないことを確認していた。…

余生は愉快に

Facebookによると、2014年の今頃わたしは人生初の海外一人旅でポルトガルを訪れていたようだ。2016年の今日はカリフォルニアにいて、2017年の今頃は南ボヘミアを訪れていた。8年前のわたしには現在のわたしの状況はまったく想像もつかなかっただろうなと、ふとこうして過去を振り返るたびにそう思う。 今回日本で会った友人たちから、人生の前半を本当によくがんばったね、よくやり遂げたねと何度もねぎらわれた。自分自身でもそう思う。よく死なずに生きて、実によくやった。終わりを終わらせに来てそれをやり遂げ、自己を破壊あるいは脱却し、再生・再構築した。 そして、既に始まっているこの人生第二章は余生のようなものだと思っている。しかし、余生こそが本番なので、とにかく愉快に生きるのだ。…

101号室に引っ越す夢

夢の中で知らない男性(夢の中では彼はわたしのパートナーらしく、よく知っている人だった)と共に暮らすことになっていた。そして、それまで住んでいたフラットを解約しなければならないが、既に月末なので来月分の家賃も払わなければならないかな?などと考えていた。新しいフラットの部屋番号は101で、わたしはどうやって荷物を運ぼうかと考えていた。…

日本から戻ってすぐに見た夢

一昨日に自宅に帰ってきてからは、ようやくたっぷりと眠ることができて、またたくさんの夢を見ている。 最初に見た夢には既にこの世を去った人たちが複数登場した。わたしは知らない街を歩いていた。そこは日本のさまざまな時代や地域、街並みをごちゃ混ぜにしたような場所だった。 少し離れたところにある家屋の軒先に母方の祖父が座っているのが見えた。どうやらそこには母と伯母もいるようだった。わたしは彼女たちには会いたくないと思い、祖父に身振り手振りで「わたしがいることは内緒にしておくように」と伝えた。そうして足早にそこから立ち去った。 わたしは、たくさんの店舗が入居する雑居ビルが繋がったまま建ち並ぶ中を進んだ。建物の中にはいくつもの階段があった。わたしは少し迷ったあと、ある階段を上って外へ出ることにした。 やがて、ライブハウスのような空間に辿り着いた。そこでは知り合いのミュージシャンの演奏が行われるようだった。そこには10年以上前に亡くなった知人がいて、わたしにコンタクトレンズのケースと保存液を用意してくれていた。さらには昨年亡くなった友人もいて、彼はわたしのために特別にオーダーしたという妙に大き…

2022年11月 ヘルシンキでの空白

予定していたフライトがキャンセルされたおかげで、ヘルシンキで丸一日、広々とした空間で一人静かに過ごし休むことができたのも、思いがけないギフトのようなものだった。あの時間があったから、チェコの自宅に戻った後の回復も比較的スムースに進んでいると感じている。 疲労から回復したら、描きたい風景がいくつもある。 日本で旅をする中で出逢った時と光景。…

2022年11月 ヘルシンキにて

早朝のヴァンター空港に到着。気温は-4℃。-20℃の環境にも対応するというSave The Duckのコートは日本ではひたすら荷物になっていたけれど、ヘルシンキでは役立っている。 機内から急遽予約したホテルはアーリーチェックインが可能だった。部屋が広く、天井も高くて嬉しい。東京のホテルではスーツケースを開くのも大変で、ベッドの上までが荷物だらけになってしまって寛げなかったけれど、ここに来てやっと心身が緩んでいくのを実感している。ストライキのためか空港内も静かだし、ホテルの中もすいていて快適だ。 さらにプラハへ移動し、そして南ボヘミアまで帰る前に、ここで一日過ごせることになって良かったのかも。 *追記 東京ではあまりの人の多さに疲れてしまい、滞在最終日にいたっては大混雑していた空港で心身が傷みそうになっていたけれど、今はすっかり安心している。ストライキのために大半のフライトがキャンセルされて空港内は静かだし、ホテルの中もよくすいていて快適だ。空間がたっぷりあるのはいい。…

2022年11月 日本滞在記 - 5

フィンエアーのフライト(ヘルシンキ→プラハ)がストライキのため直前にキャンセルされた。羽田空港のチェックインカウンターで一時間半近くかけて回避策を探したけれど、JALが用意できるという代替便は2回乗り継ぎの上にプラハ着が夜遅い時間(自宅にはたどり着けない時間)だったため泣く泣く断り、ひとまずヘルシンキまで向かうことにした。 ストライキは21日15時まで行われるとのことなので、それ以降に空港で次の手を探すつもりだが、おそらくわたしと同じような状況に陥っている人が他にも大量にいて、ヘルシンキ空港は混乱状態かもしれない。そして、プラハ行きは22日以降になる可能性も高い。そうなった場合には空港ではなくちゃんとホテルに泊まりたい。今回の旅は終始大変だったが、さらなる障害?迂回??がやってきた。 *追記 フィンエアーより、ヘルシンキ→リガ→プラハという代替ルートを用意されたが、チェックインした荷物をヘルシンキで一旦受け取った後に再びチェックインしなければならず、リガ行きのフライトに間に合いそうにないため、22日朝のヘルシンキ→プラハに振り替えてもらい、急遽ヘルシンキにホテルを予約した。…