未来を思い出す

テッド・チャン著『あなたの人生の物語』を読み終えた。 わたしが自らのUFO遭遇体験や、過去世のような夢を多々見てきたことや、未来を予見したかのような白昼夢やビジョンをいくつも体験してきたことを話した時に、それを聞いていたある人がこの小説を思い出した理由がわかった気がする。 表題作の中で描かれている世界は、わたしがしばしば抱いている感覚に近いものがあり、主人公には親近感すら抱いた。「まだ訪れていない未来を懐かしく思い出す」ようなあの感覚は実によくわかる。 わたしも地球上で肉体を持つ人間なので、当然ながら逐次的認識様式の中で暮らしているが、同時的認識様式を垣間見るような体験を幾度も味わっている。そのため、時は過去から未来に向かってではなく、未来から過去に向かって流れているように感じているし、過去も未来もすべての時は同時にある(あるいは時は円環である)のだろうと思っている。ただ、肉体がそれを認識できないだけのことだ。 この小説を読み始めて割とすぐに、J. L. ボルヘスの作品の世界に似ていると感じたが、実際にテッド・チャン自身が別の著書の中で、ボルヘスからの影響について書いているよう…

さくらの感触

夢の中で、ソファの上で横になってうとうとしていたら、足元の方からトテトテトテとさくらがやってきた。そしてさくらは、わたしにぴったりくっついたまま背を向けてどさりと横になった。さくらの頭の毛が顔をくすぐり、わたしは懐かしいその感触がとても嬉しかった。…

近くの街の一軒家を見学している夢

夢の中で、自宅から電車で15分ほどの街にある一軒家を見学していた。その家は売却に出されていて、わたしたちは近くに工房を持つ友人から紹介を受けてそこを訪ねているようだった。チェコによくあるタイプの古い平屋建ての家で、中の状態はよく保たれており、雰囲気や居心地も悪くなかった。Vが「もしここを購入するとしたら、今住んでいるフラットはどうする?」と言い、わたしは「両方所有すればいいんじゃない」と答えていた。…

アルデバラン

今朝目覚める前、赤い巨星がぐんぐんこちらに近づいてきて、頭のすぐ上まで迫ってきた。赤橙色のガスが激しく渦巻きながら轟々と燃えている様子がはっきりと見えた。そして「アルデバラン」という名が浮かんだ。これまであまり意識したことはなかった星だが、どうやらアルデバランが何か伝えに来たようだ。恐怖はまったくなかったので、アルデバランを頭上に受け入れろというメッセージだと受け取った。 別の夢では、見知らぬ大きな港にいた。停留している大きな船は鯨を捕獲して戻ってきたらしく、これから鯨の解体が始まるようだった。さらに、港の上にはペンギンを解体しようとしている人たちもいた。わたしはさすがに見ていられなくて、目を背けた。 昨夜は屋上からペルセウス座流星群を眺めた。空には時折薄く曇がかかり、遠く南の方では大きな雷雲が西から東へと移動していて、ひっきりなしに雷が光っていたけど、それでもいくつもの流れ星が見えたし、ひとつだけひときわ明るい火球も見ることができた。…

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人との対話の中で、自分がまたもや人生の大きな転換期の最中にあると話した後、過去10年ほどの出来事を振り返り、10年前には現在の自分の生活など想像もできなかったと改めて思った。10年前、わたしは東京で派遣社員として働きながら暮らしていて、海外旅行もしたことがなかったし、絵を描くことなど考えたこともなかった。 2014年11月、思わぬところからもたらされた資金を使い、長年現地で暮らしている友人を頼ってポルトガルを訪れた。思えばあれがはじまりだった。その旅の中でわたしは、「自分はこれまで一体何をしていたのだろう、なぜ社会で生き残らねばならないと思いこんでこんなにも苦しんでいるのだろう」と思い至った。 旅から戻った後の展開は坂道を転がるようだった。身の回りのあらゆるものが嘘(自己欺瞞)ばかりだと気づき、モノも、人間関係も、仕事も手放した。実際のところ、鬱状態に陥って仕事には行けなくなった。文字通りその日に着るものが見つからない状態になるまで、ひたすら断捨離をした。10ヶ月後には仕事を辞め、少しでも本望ではないことは一切やらない、それでダメなら野垂れ死にすればいいと覚悟した。 30代の頃に…

4月半ばに突然やってきた波に乗って、6月末に人生最大級の決断を下した。そして今日、それに伴う契約を結んだ。帰宅すると、大きな大きな二重の虹が現れた。人生の大きな転機を空が祝ってくれたようだ。奇しくも今日は、数日前に他界した実父の火葬が執り行われた日でもあった…

小鳥たちと蟻

数日前に見た夢を思い出した。目の間の棚のようなものの上にいた2~3羽の小鳥を掌に載せたところ、大量の蟻がその棚を這い登ってきて、小鳥たちを襲いかけたので、慌ててふり払った。そのうちの2匹が右腕を這い登り、皮膚に噛みついた。ちくりとした痛みをはっきり感じたのも覚えている。しかし、それらもすべて振り落とし、最終的に小鳥たちは無事だった。 月曜日の朝方に見た夢には、ちょっと久しぶりに母と母方の祖母が現れた。相変わらず彼女たちの姿は見えなかった。母が何かしら面倒なことをしでかして、わたしは「もう、またなの?」という気分でその後始末をしていたように思う。祖母はその背後でのんびりした様子でわたしたちを眺めていた気がする。…

金輪際

金銭と不動産にまつわる母方の揉め事を長年眺めてきて、金も、不動産も、ある種の罠のようなものであり、それらに囚われるのは呪いのようなものだと感じていたが、父や父方の祖母の生前を振り返っても同じように感じる。彼らはみな、自らその罠に陥り、自ら呪いをかけて、そこに留まった。そして、わたしはそんな彼らの連鎖に巻き込まれたくなかったのだ。 父が生きていた頃から、わたしには相続放棄の一択しかないと考えていたが、実際に父が死に、これまでの経緯を改めて振り返って、やはりそれしかないと考えが定まった。そして、2022年10月に、父がかけてきた電話の内容に呆れて言葉を失い、「金輪際この人に関わってはならない」と静かに深く肚に落ちたことを思い出した。 家中の収納を服やモノで埋め尽くしていた母も、足の踏み場も無いほど大量のモノで溢れかえる家で暮らす伯母家族も、過去に自分が暴力をふるうなど酷い扱いをした妻のことを「それでも自分は彼女から愛されている」と言った母の重婚的内縁の夫も、みな寂しい人たちだった。実際に、母も母の内縁の夫も、死を前にして「寂しい」と漏らした。 彼らは自身の寂しさをモノや金や人で埋…