カノープス

気づいたら川沿いの道を歩いていた ゆったりと流れる大きな川は濁った青緑色 向こう岸には深緑の森が広がっている 誰もいない とても静かだ ぽつんと小さな魚屋があるのを見つけた 陽はまだ高いがもう店じまいをしている 発泡スチロールの上に置かれたホタテ貝 乳白色の立派な貝柱に引き寄せられる まだホタテ貝はありますかと尋ねた 水を撒いていた女性が無言でうなずく 六つ、七つ、いや、九つくださいとお願いする きっとそのまま刺身で食べるだろう 九つのホタテ貝をぶら下げて歩いた 視線の先でカーブを描く白いガードレール 川は無言でゆっくりのたうっている 誰にも会わない とても静かだ どこへ向かっているわけでもなかった 午後の空気が浅葱色に染まっていく 川を渡るという声が聞こえる 鉄塔がそびえる角を曲がることにする 気づいたら視点が上昇しはじめた 一瞬で高く昇って鳥のように世界を見下ろす どうやらカノープスに乗ったらしい 舟で九つのホタテ貝を食べよう…

五角形とカノープス

昨夜から今朝にかけてもまた夢をいくつも見たけれど、ぼんやりとした感触だけが残っていて、内容は忘れてしまった。夢から覚めた後もじっと目を閉じたままでいたら、影になった五角形が浮かんだ。そのビジョンを追っている間に「カノープス」という名が浮かび、「そうか、カノープスになればいいんだ。」と思った。 恒星カノープスは、古い価値を壊して、今までは無意識であったものに案内する役割。死後の世界の旅を案内する船。恒星パランを確認すると、水星と金星がカノープスとパランしている。ヘリオセントリックの土星もカノープスと合だった。…

魚屋でホタテを買う夢、垂直に上昇する飛行機の夢

小さな古い魚屋の軒先で、大きな殻付きのホタテが売られていた夢の中のシーンが印象に残っている。そこはアジアの片田舎のような場所で、ゆったりと流れる川に沿った道にぽつんと魚屋が建っていた。わたしは、せっせと働いている中年女性にまだホタテはあるかと尋ね、6つ、7つか、いや、9つくださいと言った。 同じ夢だったか、それとも別の夢だったかは覚えていないが、わたしは水陸両用の乗り物に乗っていた。建物の中にある木造階段を勢いよく下って、そのまま外へとダイブし、目の前を流れていた大きな川に滑らかに着水した。 別の夢では、わたしは大きな飛行機が離陸するのをすぐ近くで眺めていた。飛行機はこちらに向かって離陸した後、真っ直ぐ上に向かって垂直に飛んで行った。巨大な飛行機の腹が頭上でぐいっと上向きに転換し、勢いよく上昇していった様子を覚えている。…

癌の治療を受ける母を見て思うこと ー 病の根底にあるのは自己同一化と自分の不在

日食の翌日から、蛾が纏わりつく夢を見て叫んで目覚めることが二度続いた。これは何かあるなと思っていたら、左上の奥歯が痺れるように痛むことに気づいた。眠っている間に食いしばっていたのだろう。中医学における歯と臓器の繋がりについて書かれた記事を読んだ。それによると、痛みがある歯は、胃・膵臓と繋がりがあるらしい。 日本にいる母が、月曜日にまた緊急入院した。昨年11月の膵頭癌摘出手術で結合した部分に癌が見つかり、切除が難しいと説明を受けたそうだ。また、胆管炎を発症しているため、化学療法は中止され、担当医と内科医が今後の治療について相談しているらしい。このことが、わたしの中でまだうまく消化しきれていないのだろう。 母から癌治療に関する報告を受け取るたびに、癌や臓器を「切除する」「消す」という表現に違和感を覚える。いくら癌化した部分を取り除いたとしても、癌化した根本原因は治癒していない。それはまるで「都合の悪い部分を(しかも他人の手で)除去し、なかったことにする」ようなものではないか。 社会内相対的自己=小さな自己が自分であると思いこみ、肉体を置く地上社会が世界のすべてだと思いこんでいる…

マンデーン占星術とチェコ共和国始原図

レイモンド・A・メリマン氏の『マンデーン 2020』を読みながら、冥王星リターン真っ只中のアメリカ合衆国の始原図(建国時のチャート)を見ているうちに、ふと気になって、チェコ共和国の始原図を出してみた。さらに思い立ち、そこに自分のネイタル図を重ねてみて驚いた。チェコの始原図の月にわたしのネイタル金星がぴったり合になる他、かなり近いコンジャンクション(オポジション等、他のアスペクトも)が複数ある。相性というか、地上の縁とでもいうのか、こういう発見があるから占星術はおもしろい。 わたしはマンデーン占星術については詳しくない。しかし、チェコ共和国の始原図における、IC上にある太陽と、そのすぐ近くで天王星と海王星が合になった配置からは、「共有された夢と理想による革命」という言葉が浮かんだ。そして、「真実の生の意義」を説き、ビロード革命を率いた劇作家ヴァーツラフ・ハヴェル氏が初代大統領を務めた歴史的事実が思い出された。アセンダントは天秤座8度「荒廃した家の中で燃え盛る暖炉 」。これは、失われていた理想と希望の復活の象徴だ。チェコ共和国は「真実は勝つ」という成句(ヤン・フスの言葉に由来すると言われ…

ある女性からのメールと、それに対する返答

> 「最近、自分がわがままだと言うことを思い知らされたことがあり、直したいなと思って、誰かに話を聞いてほしいなと考えてました。Rさんは今はセラピーの活動はしていないのでしょうか?」 「わがままでいいのではないでしょうか。わがままであることを自覚していれば、そういう自分にとって相応しい関係や環境が作れるわけですから。自分がわがままであることに無自覚なまま、他者に期待したり、人や環境をコントロールしようとすれば、苦しみが生じるでしょうけれど。 どんなことにおいても、自覚的であることが重要だと思います。自覚的であるとは、自分が思っていること、自分が感じていることが、本当に自分の思考や感性なのかということに、いつも意識的であることです。世の中には、人格や役割を生きていることに無自覚で、自分ではない感情や思考に自己同一化している人がたくさんいます。そして、そういう人たちは、自分の状態を自覚していないから、他者にも無自覚に同じことを求めます。 そういう社会においては、自分で自分を自覚し、わがままな自分を引き受けて生きると、孤立するかもしれません。しかし、無理をして小さな社会の中に居場所を確保し…

実存と架空の間

友人が書いている小説の中に、わたしと同じ名を持つ人物が登場する。しかも、その人物像やディテールはどことなくわたしに似ている。実際に、友人からも「わたしをモデルにした」と聞いた。物語の中の彼女はかなり奇天烈な人物だけれど、だからこそおもしろい。早く話の続きが読みたいところだ。 他者(の創作)の中で「わたし」の存在が自由に変容していくのはなかなか楽しい。たとえば、誰かがわたしに対して思いもよらぬイメージを抱いていたとしても、「そういう風に見えるのか」と思うだけで、嫌な気分にはあまりならない。むしろ、変幻自在な謎キャラクター、実存と架空の間ぐらいでいられた方が自由でおもしろい。以前に「プリンスみたいに謎な記号を名称として使って匿名になりたい」と思っていたこともあった。…

「人格は軽くしておくのがいい」ー 「わたし」とはさざなみのようなもの

この松村潔氏の動画の中に出てくる「人格は軽くしておく」という言葉はとてもわかりやすい表現だ。「これがわたし」と自分で思っているようなことは、実は自分がそう思いたいだけなので、あまりこだわらないのがいい。むしろそこはあまり目立たず無名な方が、単独で身軽に枠や境界を超えやすい。 「社会内相対的自己の人格に特別さを求めるのは割と無駄なこと」というのもその通りだ。社会の中の歯車(役割)としての自分にどれだけ特別な個性を求めても、その枠組みの外側から見ればそこに大した違いはない。地球の外から見れば、地球上の存在に個性の違いなどほとんどないのと同じこと。 「わたし」とは流れる川の水面に浮かぶ一瞬のさざなみのようなもの、というイメージがわたしの中にはある。瞬間的に浮かんではすぐに崩れて消えるもの。本体は流れる水の方だ。…