怒りは自分の中の無意識な抑圧や捻じれを示唆している

自分の体験を振り返っても、この通りだ。以前のわたしはよく怒りを感じていたが、ある時、怒りは自分の中の抑圧や捻じ伏せによって生じていることに気づいた。実はわたしは、無自覚な期待や欲求がかなえられなくて悲しかったのだった。そう気づいてから、怒りを感じることは少なくなった。 この無自覚な期待や欲求は、他者に対してだけでなく自分に向けられていたこともよくあった。「~してほしい」「~ねばならない」と自分に求めては、そうできない自分に怒って(悲しんで)いた。たとえば誰かに対して「わかってくれない」と怒りを感じるのも、実は自分で自分を否定していたからだった。 感じ切られることを求めている感情は悲しみであって怒りじゃない。 — 木葉功一 (@kibakoichi) February 10, 2021…

共感と愛は別のこと

共感による連帯と、愛する(=存在そのものを認める)ことはまったく別のことだ。でも、自分の肉体がしっかりと自らの意識で満ちていないと、人はその欠乏を他者との共感で埋めようとする。それはただの自己投影であり、ある種の憑依でもあるのだが、自分の肉体が自分の意識で満ちていない状態だと、人はそうした欠乏に起因する愛着を”愛”だと都合よく思いこむ。 劣等感を失くすには、自分の意識を自分の体の隅々にまでピッチリ入れる。誰にも自分を植民させない。植民もしない。憑依をやめる。 — 木葉功一 (@kibakoichi) February 10, 2021 正直、そういう横の共感みたいなものはみんなロボットに任せてしまいたい。 人形は好きです。人形は幾らでもつくるけれど、人形にはならないぞという冷たい人形愛。 — つくばね@アニメ勉強 (@8dollblowers) February 10, 2021 体から自分成分がはみ出していて、三分の一ほど空いてるところへ、誰かの成分が流れ込んでる。はみ出した自分の成分は、別の人の体の空きを埋めている、という感じ。共感って中身のズレであり憑依だ>欠…

2021-02-07

日本で暮らしていた頃は、週に5日出勤して、一日8時間以上(大しておもしろくも楽しくもない)仕事をした後、さらに買い物に出かけたり、どこかで食事をしたり、人と会ったり、占いやセラピーをしたりしていたけれど、今となっては、当時の自分はどうやってあんなにも多くのことを毎日やっていられたのだろうと不思議にすら思う。 「やれていたことができなくなるのは発展、縛りから自由になること」という友人の言葉を思い返す。 自分とさくらの世話をして、自分のペースで仕事をし、自分がやりたいことだけに専念して、疲れたらすぐ休み、なるべくたくさん眠る。それだけであっという間に日々が過ぎていく。たとえば、空を眺めながら眠っている間に見た夢を振り返ったり思いに耽ったりしているだけで気づけば数時間が過ぎている。さくらとともに散歩をしながら写真を撮っているだけでやっぱり数時間が過ぎている。 これでいい。…

できていたことができなくなるのは縛りから自由になったということ

自分は特に食べたくはないけれど誰かのために料理をするとか、少しも楽しくはないけれどお金など何かを得るために技術や労力を提供するとか、過去には確かにやっていたことが、今はまったくできなくなったよと話したら、友人は「やれていたことができなくなるのは発展だ、縛りから自由になることだ」と言った。 以前のわたしは、立場を保つためだとか、身を建てるためだとか、何か他の社会的な目的のために、本当は楽しくもないことややりたくもないことを自分に強いていたのだ。 「この社会で自分が実現したいことを思い出す」と言う文章をたまたま目にして「”社会の中で実現したいこと”って、もう無いな」と思った。ずっと自分に無理を強いながら社会の中の相対的な自己を生きてきて、もうそれにすっかり飽きて嫌になってやめたのだから、当然のことだ。…

猫が話しかけてきた夢

夢の中で知らない街を歩いていたら、突然猫が話しかけてきた。くりくりと可愛い目をした小柄な雌のキジトラ猫だった。猫は「ねぇ、あそこに置いてある青いバッグの中にナイフが入っているのを見つけたよ。危ないよ。」と言った。前方の花壇の脇に、青いトートバッグが放置されているのが見えた。わたしは、もしかするとそのバッグは意図的にそこに置いてあるのではと思い、念のため警察に知らせることにした。しかし、近くに交番は見当たらなかった。わたしは、猫と二人の女性たち(一人は友人だった)とともに、バッグの持ち主がやってくるかどうか様子をうかがうことにした。場面が切り替わり、わたしは女性たちとともに高架歩道を歩いていた。前方にはバッグの持ち主である男性が、もう一人の男性とひそひそ立ち話をしていた。彼らは怪しい雰囲気を纏っていたが、何か事を起こしたわけではないので、わたしたちは素知らぬふりを装いながらも警戒して彼らの横を通り過ぎた。 昨夜は寝る前に突然「ドゥーベ」という名が浮かび、ドゥーベっておおぐま座、北斗七星の恒星だったっけ?と思いながら眠りに就いたのだった。…

ゾスマ、そしてアルタイル

夢の中で、Vとさくらとともに友人を訪ねていた。そこはとても広い部屋で、2面に取り付けられた大きな窓の外には野原が広がっていた。友人は料理をしていて、わたしとVは持参した弁当を食べようとしていた。 すると、窓の向こうに、大きな鳥の群れがこちらに向かってやってくるのが見えた。鳥の群れは窓のすぐそばまでやってきて、奇妙な形を構成しはじめた。真ん中に白い頭と茶色い体を持つ鷲のような鳥が羽を閉じて直立したまま空中に停止し、その周囲を無数の鳥たちがぐるぐる旋回して筒状の形を形成していた。わたしと友人は感嘆しながらその様子にじっと見入った。 その後、わたしは一人で外に出た。建物の玄関を出たところに金属の棚があり、そこにはさまざまな動物が生きたまま遺棄されていた。犬や猫だけでなく、うさぎ、モルモット、鹿もいた。みな生きてはいるものの、長らく放置されてすっかり衰弱しており、ぐったりとした様子で棚の中に横たわっていた。 そこは、人間が飼えなくなった動物を遺棄する場所だった。棚の隣には焼却炉とグリルがあり、死んだ動物の体はそこで焼かれるようだった。そこで焼き肉を食べている人たちもいた。わたしはショック…