怪奇現象が起きる夢

今朝方見た夢で怪奇現像が起きていた。わたしは、随分昔に付き合っていた男性と知らない部屋にいた。室内は薄暗く、既に日は暮れているようだった。突然天井のあたりからからラジオか何かの音が流れ始め、不審に思って上を見ると、ぶら下がった電灯が何かによって無理やり捻じ曲げられるように動いて形を変えた。 わたしは怖くはなかったが、なんとかしなければと思い、見えない”何か”に向かって「何者なの?何がしたいの!?」と問いかけながら、手元にあった板のようなものを頭上に掲げて片手でぶんぶん振った。…

ピンホール写真を撮る意識状態

今日もピンホールカメラは持って出ていたものの、結局プラハにいる間は写真は撮らなかった。先日、歯科治療のためにプラハへ出向いた時も、やっぱり写真は撮らなかった。 プラハでは、ごく限られた場所以外、ピンホール写真を撮りたいと思わなくなっていることに気づいた。撮れないというか、撮る状態になるのが難しい。おそらく、ノイズが多くて、着地しない所謂”リリス”状態になることができないのだと思う。安心して輪郭の中と外を行き来することができないのだ。 ピンホールカメラではなく、一眼レフカメラでなら撮れるのかもしれないが、撮れないのなら撮らなくてもいいと思っている。…

同僚たちとの久々の再会

久しぶりにプラハのオフィスに出向いたところ、一人を除く他のメンバーもオフィスにいた。誰もいないだろうと思っていたので驚いた。彼らとは昨年3月のロックダウン以降顔を合わせていなかったので、随分と話が弾んだ。 ターボルでの生活について聞かれたので、「南ボヘミアのゆっくりとした時の流れと豊かな自然環境にすっかり馴染んでしまって、たまにプラハに来ると、人が多くてびっくりする。都会だなあ、忙しいなあと感じる。」と答えた後、さらに「わたし、チェコに来る前は東京に住んでいたというのにね。」と言ったら、みんな笑った。…

物理的な移動ではなく

日本にいた頃はいつもあんなに旅に憧れていたのに、最近は旅への欲求も随分と減った。訪ねてみたい場所は今でもあるし、会いに行きたい人もいるけれど、以前ほどの強い思いはなくなった。行くべき場所にはいずれ行くだろうし、会うべき人にはいずれ会えるだろうから、それで十分だ。 思うに、あの熱烈な旅への憧れは、自分が身を置いていた場所や社会からの逃避または脱出への欲求だったのではないか。立場、役割、関係、要するに”自分”という「おはなし」をリセットしたかったのかもしれない。社会内相対的自己が自分だと思いこんで生きていれば、そうなるのも仕方ないだろう。 しかし、社会の中の相対的自己を自分だと思いこんでいる限り、どれだけ旅を重ねて”リセット”したところで、それは「おはなし」の入れ替えでしない。いくら場所を移動し、身を置く環境を変えたとしても、結局は横軸のバリエーション増加でしかないので、ますます旅を求め続けるというスパイラルすら生じそうだ。 今となっては、自分が暮らしているこの小さな街の中ですら、一生撮り続けても終わりがないものに溢れていて、それに専念しているだけであっという間に肉体的な死がやってく…

プラハの街に対する視点の変化

昨日昼過ぎから一時間半電車に乗ってプラハまで出かけ、歯科治療を受けて帰ってきただけで、今もまだ疲労が抜けずにいる。外出や人と接する予定を一日に複数詰めこむのはもう無理だし、そうした予定が連日重なるのも無理だなと思う。在宅勤務になって、都市部を離れられて、本当によかった。 最近はプラハに行くと、街が荒れていると感じるようになった。路上にはたくさんのゴミが散乱し、あちこちでヴァンダリズム(落書きや器物の破損)を目にする。人々の様子や雰囲気もどことなくストレスフルで、南ボヘミアとは違っている。わたし自身がプラハに住んでいた頃にはなかった視点だ。 南ボヘミア出身のVは以前から「プラハの街は荒れていて、きれいだとは思わない」と言っていた。他の人々からも同じ言葉を聞いたことがある。今ではわたしも彼らの言っていたことがわかる。チェコへ来たばかりの頃、少し言葉を交わしたある店のスタッフが「プラハは忙しくてストレスフルで疲れる、わたしの故郷とは全然違う」と言っていたのを思い出した。…