影と自分

影と自分

四半世紀ぶりに連絡を取り合った同級生から、彼女の周囲の人々の話を聞いて改めて思うのは、実に多くの人たちが自分を持たないまま立場だけを生きているということだ。彼らは自分の「影」を他者に押しつけ続けている。そうして何かに同一化して、他者に強烈に依存したまま、自分を生きずに死んでいく。

誰かのことを「間違っている」と感じる時や、自分を誰かの犠牲者だと感じる時、わたしたちは自分の影を相手に押しつけているだけだ。しかし、それを認めないために、わたしたちはあらゆる理由を作り出して他者を批判する。だが、それが実は自分の影だと気づくまでは、延々と二極化を繰り返すだけで、どこにも出口は見つからない。

自分の中の僅かな一部に固執して「これが『自分』だ」と思う時、それ以外はすべて影になる。しかし、実は影の方がはるかに大きい。小さな自分に閉じこもるほど、わたしたちはそれよりはるかに大きな影に支配されていく。影を他者に押しつけることで、自分自身を矮小な関係(立場)に縛りつけていく。

自分が、自分の中の小さな一部を「自分」だと思って固執していること、そして、それ以外は影(さらに言えば「自分」にとって都合の悪いこと)になっていることを、認めるか認めないかの違いは実に大きい。他者に押しつけている影が実は自分であったと気づくとき、その相手は自分の外側ではなく、自分の中にある。

それはつまり、自らの自己同一化に気づき、小さな「自分」を脱ぎ捨てて、一回り大きな自分になることだ。これがいわゆる自己想起と呼ばれるものだろう。そして、自己想起は一度気づけば終わるようなものではなく、生きている限り自覚的に繰り返していくプロセスだ。

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