この世界における生と物質的存在はわたしたちのほんの一部でしかない
友人に見せるため、フィルムで撮影した母の死の前後の写真を見返していた。そして、わたしたちが肉体と名をもって存在している時間、つまり、この世界における生なんて、わずかな一部だと思った。
わたしは、母の死の直後からずっと、彼女の不在を感じていない。彼女がもうこの世界に存在しないことはわかっているが、以前との違いをあまり感じないのだ。しかし、こうして彼女の写真を見ると「そうだ、彼女はもうこの世界にはいないのだった」と確認する。だが、そこで感情が動くことはない。ただそのたびに再確認するだけだ。それ以外に大きな変わりはない。
そう気づいて、彼女が名と肉体をもってこの世界に存在しているかいないかの違いは、そう大きなものではないと思った。わたしたちの本体は、肉体をもってこの世界で生きている「部分」よりもはるかに大きい。