宮沢賢治『よだかの星』についての対話

2019年10月24日

一昨日、友人との対話の中で「わたしが恒星だったとしても、よだかから『私をあなたのところへ連れてって下さい。灼けて死んでもかまいません。』と頼まれたら、無理だと断る。」と話したことを思い出した。

なぜ断るかを後から考えてみたが、それは、よだかが抜け出せずにいる(執着している)虚構ドラマの補助は、わたし(恒星)がやることではないからだ。恒星から見れば、よだかも鷹もめじろも川せみも蜂雀もひとつのものだろうし、よだかの思い(個性)と他との違いなど見えないだろう。

よだかは、現実と名づけられた自らが作り出す虚構ドラマに執着している存在であり、恒星とはそういう虚構世界の外側にいる存在だ。よだかは、自らの意志でドラマを脱し、自ら燃えて星になるしかない。

宮沢賢治の『よだかの星』は恒星化する存在について書かれた話だ。