意味よりも先に音の響きを
わたしは、自分の意図や計画によってチェコに来たわけではなく、よくわからないけれどおもしろそうな流れに乗って運ばれてきた。しかし、初めて滞在した頃から、チェコ語の響きには不思議と違和感がなかった。意味はまったくわからなかったが、耳触りのいい言語だと感じた。その後、多少の紆余曲折を経たものの、わたしはそのままチェコで暮らすことになった。人々が話す言葉の音が心地よく感じられたのは、わたしにとってこの地が肉体的にも精神的にも快適だったということだろう。
以前、わたしは日本でポルトガル語の講座に通っていた。フェルナンド・ペソアが好きということもあったし、友人を頼って訪ねたポルトガル(アヴェイロ)がいいところだったので、機会があれば移住したいなどとも思っていた。しかし、わたしの身体はポルトガル語になかなか馴染まなかった。
頭(都合)でどれほど期待して、どんなに思いこんでいても、身体(現象)は率直に反応する。チェコ語の文法には苦戦中だし、習得には相当時間がかかりそうだけれど、今でもやっぱりその音やリズムは心地よいので、これでいいのだろう。未だあまり意味はわからないままその音に浸り、声に出して読んでいる。