虚ろな自分に気づくこと=自分の中にある被害者意識と加害者性を認めることが、連鎖を脱する鍵になる

この木葉功一さんの一連のツイート(一部にわたしのツイートも引用されている)に書かれている「上に向けての被害者意識・下に向けての加害者性」は、わたし自身が身をもって体験してきたのでよくわかる。それは同時に「外に対する被害者意識と、内に向かう加害者性」でもあった。わたしが自分の中にあったこの分裂に気づき、それを認められるようになるには、他者の手助けと長い時間が必要だった。

わたしが、自分が母親から(そして教師や大人たちから)肉体的・精神的に虐げられていたという事実に気づいたのは、30歳を超えてからだった。人からはっきりと「それは虐待だよ」と言われて初めて気づくことができた。「自分が虐待されていた」という事実はなかなか受け入れがたいもので、大きなショックを受けたのを覚えている。当時のわたしは、母に対して説明しがたい恐怖を抱き続けていた。それは、わたしが思春期の頃から長年抱いていた「殺すか、殺されるか」というレベルの恐怖だった。その様子をあまりにおかしいと感じた友人が、改めてわたしの話を聞いた上で「君が受けていたのは虐待だよ」と教えてくれたのだった。

わたしも、母も、アダルトチルドレンだった。そして、わたしたちは長い間、無自覚なまま共依存関係にあった。20代から30代にかけてのわたしは「母から逃げること」に必死だった。そうしなければ自分が死んでしまうという恐怖すらあった。そして、あの頃のわたしは、自分に対しても、他者に対しても、破壊的で暴力的だった。過剰な飲酒や喫煙も、自暴自棄な行動も、自傷行為や自殺未遂も、すべての元にあったのは「被害者意識と加害者性」という自分の中の分裂だった。抑圧しつづけてきた感情が何かのきっかけで暴発すると、身の回りのものを破壊したり、それによって怪我を負うこともあった。そして、人間関係においてもわたしは破滅的だった。奇妙なほど完璧主義で潔癖な側面と、ひどく雑で乱暴な側面が共存していて、相手を困惑させたことも多々あったと思う。過去の恋愛関係を思い返すと、わたしは見事なまでに被害者でありながら加害者でもあったと実感する。そんな風に、常にわたしは分裂していた。

自分の中の分裂に無自覚だった頃のわたしは、きっと虚ろだったはずだ。自分ではないもの(機械性)によって半ば支配され、自分のものではない思考や感情によって動かされていた。部分的に機械化し、システム化していた。そんな自分が苦しくて仕方なかったが、解決する方法が見つけられず、破滅的に生きていた。

30代半ばにして「自分が虐待を受けていた」という事実を認めることから、わたしの回復は始まった。当然ながら、次なるプロセスは「わたし自身もまた加害者である」という事実(=自分自身の暴力性)を認めることだった。そうして、自分の中にあった分裂を認めるごとに、わたしは安心を取り戻していった。

こうした自分自身の体験を通して、わたしは「虐待(暴力)する側を責めて罰するだけでは、その連鎖を断ち切ることはできない」と実感している。それは、どちらが悪いとか間違っているとかではない、もっと根深い構造的な問題なのだ。そして、解決する唯一の方法は、どちらかがその連鎖構造に気づいて抜け出すことだ。

ちなみに、30代半ばから始まった自分の中の「被害者意識と加害性の分裂」を認めるプロセスがほぼ完了したのが40歳頃で、その後すぐにわたしは日本を離れた。そうして今は、母とは互いに近しい他者同士として冷静かつ優しく関わることができている。そこにはもう、恐怖も緊張も抑圧もない。

数日前にTwitterのタイムラインに流れてきたこの動画を、わたしはここまでに書いた自分自身の経験に基づく視点を通して見ていた。31才の男性が、16歳の若者に「今までの俺たちのやり方では何も解決しない、別の方法を編み出してくれ」と訴えているのは、まさに社会構造的問題とそこからの脱出方法(がわからないこと)を指しているのだと思う。

日本も、アメリカも、虚ろな人々がシステム化・機械化している点では共通している。建国の土台にある「恐怖」を欺くために築いてきた自己欺瞞的社会構造。その中で、自分を虚ろにする機械化の連鎖が延々と繰り返されている。自分が虚ろなままシステム化・機械化すると、人は暴力的になる。その暴力は、自分と他者の両方へ向かう。自分がないというのは、実は最も暴力的な状態なのだ。