母の死後の様々な整理に取り組みながら感じているのは、何事も、始めたり集めたりするよりも、終わらせて手放す/捨てる方が、よほど労力と時間がかかるということだ。モノも、コトも、関係も、常にきちんと終わりを終わらせ、片をつけておかなければ、やがて重たく膨れ上がって手がつけられなくなる。
そして、改めて思うのは、結婚/離婚、不動産/金銭権利の分割など、法的な手続きは自分が動けるうちに済ませておくべきだということだ。ずるずる後回しにしていると、結局自分が苦しむことになる。事実にしっかり向き合い、自ら取り組んで、関係も物事もきちんと片をつけておくのは本当に重要だ。
「ある」ものを「ない」ことにしても、そのツケは必ず自分に返ってくる。「ある」ものは「ある」と認め、向き合い、受け入れていくしかないし、そうすれば、自ずと解決していくものだ。自らの影も同じこと。自分の影に無自覚なまま「ない」ものとして生きていれば、その影は常に他者として目の前に現れ続ける。
情が邪魔をするなどと言うが、その根底にあるのは自己同一化だろう。誰かや何かへの情(執着)とは、自分が「ない」ものにしている自らの影の投影であり、自分の立場や役割にとっての都合でしかない。情とは、相手に対するものではなく、自分(相対的自己)の都合への固執だ。