2020-08-05 母を看取った後の日記

久しぶりに日本に滞在し、親の死とそれに纏わる出来事を体験する中で改めて感じるのは、この社会には、自立する個という概念がないということだ。「男/女である前に、親/子である前に、属性/立場/役割/肩書である前に、まず一個の人間としてわたしである」という感覚を持たないらしい人が本当に多い。

共感や連帯感への欲求がこれほどまでに強いのも、自己不在であるが故に、他者との間に明確な境界を持たないからではないか。多くの人が、自らの人生の当事者にはならないまま、誰かや何かとの関係だけに留まり、刷り込まれた思いに乗っ取られて、機械的な反応でしかない気分に動かされている。

人の”善意”にNOを言わないために、自分を含む誰かの”思い”を否定しないために、無自覚に自分(の肉体と感覚)を殺す習慣を繰り返してきた人は、自分の周囲にいる存在、特に自分より立場の弱い存在にも同じことを無自覚に強要する。この社会では、そうした自他への虐待の連鎖があらゆる関係の中で繰り返されている。