自分で自分を引き受けている人は、自分と他者との境界を自覚している
2019年11月2日
母が大きな手術を受けて入院している中、多くの人が「心配」「気がかり」という理由をつけて病人に近づいては、身勝手に感情を押しつけようとするのを目のあたりにしている。彼らはただ自分の不安を解消したいだけだ。自らの暴力性に無自覚な人がいかに多いことか。
当人の状態を顧みず、状況を静かに見守るということができずに、自分勝手に他者の領域へ押し入るのはただの暴力でしかない。自分がない=自分で自分の感情と感覚を引き受けられない彼らは、自分と他者との境界も持たず、自分自身の不安や恐れをそのまま他者に押しつけようとする。
本当に誰かのことを気にかけている人は、自分の都合を相手に押しつけはしないし、相手にとって負担になるようなことはしないよう配慮するだろう。そうして相手の状態と行動を静かに尊重している。自分で自分を引き受けている人は、自分と他者との境界を自覚している。
自分がない人とは、意志を持たない人のことだ。意志を持たない人は、隙あらば他者や何かにくっついて同化しようとする。人に取り憑く幽霊というのは、意志を持たずにただ時の流れに運ばれるだけの存在のことではないか。
「地球上のほとんどの人は自分の未来を作ることができず流木のように生きている」というノストラダムスの言葉をまた思い出す。自分も他者もないまま浮遊し、一方向に流れる時間にただ運ばれ続ける存在。彼らは肉体的には生存しているけれど、”生きて”はいない。