2020-08-14 母を看取った後の日本滞在日記

一昨日発生したある出来事を通して、家(空間)は、そこに棲む人の内的状態をそのまま表していると感じた。たとえば、わたしの母は、家の中の収納部分にぎっしりと様々なストックを溜め込んでいたが(室内の表側は常に整理整頓されていた)、それはまさに、母の内的状態と在り様そのものだった。

また、部屋の様子だけでなく、住居のトラブルなどにも、そこに棲む人の状態は象徴的に現れる(たとえば、自覚されずに溜め込んでいる感情があると音漏れや水漏れを起こす等)。

そして、人は自分不在の状態でいると、家・家系をはじめ、自分が物理的に所属する社会に流れる連鎖の容れものになる。そうして、自覚のないまま、属性や立場だけが自分だと思いこんでしまう。家も、人(の肉体)も、”容れもの” なのだと改めて感じる。