異界へと通じる裂け目
なんとなくまっすぐ家に帰りたくなくて、オフィスを出た時にちょうど目の前にやってきたトラムに飛び乗った。行く宛はなかったが、乗り込んだトラムが18番だったので、マラー・ストラナを通過し、マーネス橋を渡り、ヴルタヴァ川沿いを南下して国民劇場の角を曲がり、国民通りに着いたところで降車した。行き先は自宅やオフィスの周辺でなければどこでも良かった。とはいえ、観光客が集まるエリアや、洒落たレストランやバーが並ぶ賑やかな場所へは行きたくなかった。トラムの中で、明日が射手座の新月だということを思い出したので、国民通りから南南東へと広がるプラハの射手座エリアを歩くことにした。
トラムを降りたところでお腹がすいていることに気づいたので、何度か訪れたことのあるベトナム料理屋に入った。ベトナム料理屋ではいつも同じものを食べてしまいがちなので、たまには他のものを選ぼうとメニューを何度もひっくり返してみたものの、結局またいつもと同じものを注文した。数ヶ月前に訪ねた時とはメニューも、顔ぶれも、流れる音楽も違っていたので、対応してくれた店員に尋ねたところ、7月末に経営者が変わったらしい。出された料理もやはり、盛り付けも味もすべてが違っていた。外観も内装もまったく同じ建物の中に以前とは異なる世界があるというのは、ちょっとおもしろい。
このベトナム料理屋は新市街の裏通りに建つ古いビルの中庭に面していて、通りからは完全に隠れている。表に看板は出ているが、暗い街灯の下ではほとんどの人が気づかないだろう。薄暗いビルのエントランスを通り抜けると、いきなりベトナムの空気が漂う。いつもわたしは中庭が見える窓際の席に座る。店内に流れるアジアンポップスを聴きながら、窓の向こうのチラチラ光る軒先の照明やテラス席のテントを眺めていると、どこか知らないアジアの町へ旅に来ているような気分になる。しかし、よく目をこらすと、その奥には隣のビルがあり、ところどころの窓に明かりがついた暗い壁の佇まいからは共産主義時代の気配が漂っている。それが店内のアジアの雰囲気と混ざり合って、ますます不思議な異国情緒を醸し出す。そして、ここがどこなのかがまるでわからなくなるのだ。
プラハの街には、こんな風にするりと異界へ滑りこんでしまう穴のような場所があちこちに潜んでいる。わたしはそういう場所が好きなので、というよりも、そういう場所に引き寄せられるようにたどり着くので、いくつもの穴が脳内でリストアップされている。もしかしたらわたしは異界の入口を見つけるために徘徊しているのかもしれない。
食事を終え、さてどちらへ向かおうと思いながらジンジャーティーを飲んでいたら、今朝シャワーの最中にオーラソーマの「エジプシャン・ボトル」と名付けられたボトルのことが頭に浮かんだのを思い出した。たまたま視界に入った洗面台の上のハンドソープが、紫とオレンジの二層になっていたからだった。そして、昼間に読んだ松村潔氏の短編小説の中に、「古代エジプトの人々は自分たちの本当の故郷はシリウスだと考えていた」と書かれていたのを思い出した。そこで、もう一度その小説を読み、さらに他の小説も読み直し、ある話の中で坂について書かれた箇所が印象に残ったので、近くの坂道を歩くことにした。
支払いを済ませて財布を仕舞おうとしたら、先日買ったばかりのバックパックのジッパーが内側の生地に引っかかってしまった。食事中だった店員が立ったまま見送ろうとしてくれていたので、焦って直そうとしたら、ジッパーはまったく動かなくなり、さらに閉めたはずの部分が開いてきた。それ以上力任せに何かをしたら完全に壊れてしまいそうだったので、ジッパーを閉めるのはあきらめ、折りたたみ式になっている蓋の部分だけを閉じて、背負わずに腕で抱えて店を出た。
店の中で読み直した松村潔氏の短編小説『宇宙案内所(9)』の中で印象に残ったのはこの文章だった。
「坂というものは奇妙な変化をもたらす。異界に通じる裂け目、あるいは異界を封じる縫い目として、坂の途上では誰もが心身の傷口が広がってしまい、宇宙に飛び出すには適した場所と言わざるを得まい。」
坂道へ向かうと決めて店を出ようとしたら、バックパックの側面につけられたジッパーが壊れ、一部が開いたままになってしまった。心身の傷口ではなく、財布やら眼鏡やら化粧ポーチやらが入った鞄の横に傷口が広がってしまった。わたしが宇宙に飛び出すどころか、荷物が外へ飛び出してしまいそうだった。
表通りに出るとすぐに6番のトラムがやってきたのでひとまず飛び乗り、一つ先の停留所で降りた。カレル広場の南側に面した道を歩きながら、数年前に初めて一人でこの街へやってきた日のことを振り返った。わたしがプラハで初めて訪れた場所は、カレル広場の南に建つチェコ工科大学の古い学舎だった。右も左もわからない中どうやってたどり着いたのかは忘れてしまったが、わたしは時間通り大学に到着し、託された任務を果たした。その時に初めて顔を合わせた准教授は、わたしが現在働いている職場の責任者だ。当時は想像もしていなかったけれど、彼との繋がりはあの時既に始まっていたのだった。(ちなみに、自宅に着いてからプラハ・ゾディアックの地図を確認したところ、カレル広場前のチェコ工科大学学舎は、わたしのネイタルのドラゴンヘッドの真上に位置していた。)
さて、ジッパーが壊れてしまったバックパックを両腕で抱えて、わたしは坂道へ向かった。チェコ工科大学が建つ交差点をカレル広場とは反対側へ折れると、道はヴルタヴァ川に向かって下っていく。坂を下りきった角には「ダンシング・ハウス」という通称を持つ斬新なデザインのビルが聳えている。坂道の途中には、第二次世界大戦時にナチス・ドイツのチェコ副総督ラインハルト・ハイドリヒの暗殺実行者たちが最後に隠れた、聖キリル・聖メトディウス正教会大聖堂がある。坂道に面した石造りの壁には激しい銃撃戦の跡が残っていて、前を通るたびにタイムスリップをしそうになる。わたしにとってはネイタルのアセンダント上にあたる場所だ。
初めて一人でこの街を訪れた日、わたしは無事に任務を終えた安堵感とともにやはりこの坂道を歩いた。准教授と待ち合わせる前に既に道中で目にしていた聖キリル・聖メトディウス大聖堂の佇まいが、どうにも気になっていたのだ。当時は確か英語の説明などなかったので、わたしにはそこで起きた歴史的事件を知る由はなかった。銃撃戦の跡が残る石壁に設えられた軍人と神父を模したレリーフから、戦争に関する場所であることだけはわかった。ホテルに戻った後、改めて大聖堂について調べるうちに、そこが「エンスラポイド作戦」と呼ばれたハイドリヒ暗殺計画にまつわる重要な現場だったことを知った。
なぜだかわからないが、それからわたしはまるで憑りつかれたかのようにエンスラポイド作戦に関わった人々について調べて回った。暗殺を実行したチェコスロバキア亡命政府軍のヨゼフ・ガプチークやヤン・クビシュらがかくまわれていたというジシュコフのアパート跡を訪ねたりもした。エンスラポイド作戦とそれに対するナチス・ドイツによる報復は、チェコ(およびスロバキア)における大きな歴史的事件なので、インターネットでちょっと検索をするだけでも多くの情報が見つけられる。
それから一年も経たないうちに、キリアン・マーフィーとジェイミー・ドーナン主演による映画『Anthropoid』が公開され、さらに翌年にはローラン・ビネの小説『HHhHプラハ、1942年』を基に作られた映画『The Man with the Iron Heart』も公開された。現在、聖キリル・聖メトディウス大聖堂には国の記念碑が設置され、中の博物館では他言語による解説も用意されている。
当時チェコの歴史などまるで知らなかったわたしが、突如として憑かれたようにエンスラポイド作戦とその時代背景について調べはじめ、ヨゼフとヤン、そしてレジスタンスたちに共振のような感覚まで抱いたのは、坂の力によるものだったのかもしれない。わたしは坂に呼ばれるように引き寄せられ、そして、坂の途中に建つあの大聖堂で異界に通じる裂け目に落ちてしまったのではないか。そうして意図せず広がってしまった傷口が、あの場所で死を迎えるしかなかった彼らへの共振に繋がったのではないか。そう振り返ると、初めてプラハを訪れたあの日から既に宇宙へ飛び出すプロセスは始まっていたのだ。
このレススロヴァ通りの坂は、大聖堂のあたりを境に蠍座エリアと射手座エリアに分かれている。蠍座と射手座の境目というのもまた深い傷口が開きやすい場所だ。坂の上の方が射手座エリア、下の方が蠍座エリアだが、実際に歩いてみると辺りの気配に微妙な違いが感じられる。これからは、プラハの坂道をあちこち歩いてそれぞれの雰囲気を味わってみるというのもおもしろい。
ダンシング・ハウスの前を通り過ぎ、イラースクーフ橋を渡った。橋の下にも頭の上にもたくさんのカモメが飛び回り、あちこちから鳴き声が聞こえる。橋の欄干に止まっているカモメの写真を撮ろうとしたけれど、近づくとすぐに逃げられてしまった。手が触れるほどの距離まで近づいても逃げないスミーホフ・ナープラヴカの白鳥のようにはいかないらしい。橋の上からライトアップされたダンシング・ハウスに向かって露光時間を計測してみたところ、3時間ほどだった。たくさんのトラムや車が行き交う場所なので、夜間に一度ピンホール写真を撮ってみたい。流木ピンホールカメラと大型三脚を持って徘徊する計画もそろそろ再開しなくては。
そういえば、松村潔氏の小説の中には「井戸の底は異界」という記述もあった。坂道を歩くのに加えて、井戸も探してみようか。そうして異界へ通じる裂け目を訪ね歩けば、あちらとこちらの通りがますますよくなり、恒星化も加速しそうだ。実際に今日もまた何度も異界を垣間見たし、時空を超える旅をした。たまたま飛び乗った18番トラムの中で明日の新月のことを思い出したのも、タロットカードの18番が月であることを考えるとおもしろい。街中を走るトラムの番号と路線をタロットの大アルカナに重ねて眺めてみるというのもいい。
そういえば、プラハという街の名の語源はpráh=敷居だったという説がある。そもそも、この街そのものが異界へと通じやすい場所なのだ。地球上にあるといういくつかの大きな裂け目のひとつ。