萩原朔太郎が『青猫』の序の中に書いている「詩は何よりもまづ音樂でなければならない」という言葉を思い出す。「文体」という言葉は、文章の姿形という意味で使われるが、体に響く文という風にもとれておもしろい。
わたしは、どんな文章を読む時にも、黙読しながら(時には声に出しながら)音とリズムを感じ取っている。自分が書いた文章も、常に音とリズムを確認する。音とリズムが体にあわない文章は読めないし、内容が入ってこない。インターネットでよく目にする改行過多な文章が読めない理由は、音もリズムもブツ切りにされているからだろう。