また12時間以上眠っていくつも夢を見た。母が風俗店かラブホテルのような場所を運営している夢、カンボジアの熱帯雨林で野生蜜蜂の蜂蜜を採集している知人と話す夢、映画撮影にエキストラとして参加したことを知らない女性たちに話している夢、見晴らしの良い高台に造られた寺院の庭を歩いている夢。
記憶はどれも途切れ途切れだが、いくつかの光景は映画のワンシーンのようにはっきりと思い出すことができる。おそらくそれぞれ別の夢だったのだろうけれど、まるですべてが一つの旅の中で起きたことのようだ。
睡眠中、意識は肉体からはみ出ているので、起きている間に感じている”時間=肉体と体感をベースとした感覚”からは解放されている。つまり、夢はいわゆる”時間”からはまったく自由だ。わたしたちが夢を認識するのは目覚めてからなので、そのビジョンは脳によって時系列的に編集されているけれど、実はそれらはすべて一瞬のことなのだろう。
今日目覚めた後、わたしはいくつかの夢の記憶を一連の旅の中の断片のように感じたが、それらは一瞬の中の複数の側面なので、その感覚は間違いではない。起きている間に感じられる”時間”も、同じ視点から眺めるとまったく異なって見えてくる。時は過去から未来へと流れているのではなく、未来から現在にめがけてやってくるように感じると以前に何度か書いたが、それも当たり前のことだ。