覗き魔との遭遇と捕獲、そこから気づいた棲み分け認識と自覚の重要性

一昨日の夕方のこと。自宅の最寄り駅に隣接するショッピングモール内のトイレで覗き魔に遭遇した。個室で用を足している最中、隣の個室の扉が閉まる音を聞いたが、その後が妙に静かだったので、何だか変だと感じてふと見上げたら、知らない男の顔がこちらを覗いていた。男と目があった瞬間、驚愕と恐怖で全身が凍りつきそうになったが、即座に大声を上げて個室から飛び出した。次の瞬間、「絶対に捕まえてやる!」という猛烈な思いが腹から沸き起こり、猛スピードで手洗いスペースを抜けて、外へ出て助けを求めた(「Pomoc!」というチェコ語を初めて実際に口にした)。

犯人が逃走しないようトイレの入口を注視しながら、フードコートにいたパートナーを大声で呼び寄せ、彼を見張りに立たせて、わたしは警備員を探しに走った。警備員はすぐにやってきた。おそらくわたしの声が聞こえていたのだろう。「女子トイレの中に男がいて、個室の中を覗かれた!」と訴えたところ、彼は即座に中へと入り、すぐまた出てきて「目撃した男に何か特徴はなかったか。」とわたしに尋ねた。わたしは「目から上しか見えなかったが、おでこが広く、ちょっと禿げかかっていた。」と答えた。すると、彼は「やはり」というような表情で「直接犯人の顔を見て確認してほしい。」と言った。自分が用を足している最中を覗いていた男の顔など見たくもなかったが、半ばパニック状態のわたしは断ることもできず、再び女子トイレの中へ足を踏み入れた。そこに立っていた男の顔はまぎれもなくあの覗き魔だった。そして、その男はなんと、警備員の制服を身に着けていた。

「なぜお前がここにいるんだ!」と厳しく問われた男は、「男子トイレが掃除中だから女子トイレを使うようにと掃除スタッフから言われた。」「女子トイレの個室で寝ている人がいるようだったので確認をしに中へ入った。」などと悪びれる様子もなく言い訳を繰り返した。その目には奥行きがなく、そこに在りながら存在していないような気持ち悪さで、わたしはそれ以上その顔を見ていたくなくて、踵を返してトイレの外へ出た。

助けに来た警備員から聞いた話では、既に複数の女性から「トイレの個室で誰かに覗かれた」という報告があったものの、目撃証言は靴の特徴のみで、十分な証拠が押さえられていなかったらしい。しかし、現場での様子から察するに、犯人には既に疑いがかけられていたようだ。ようやく犯人を捕まえられたことに対して感謝の言葉を述べた後、彼は覗き魔を連れて去っていった。

かなりの興奮状態にあったわたしは、犯人に対する処置や警察に届けるのかどうかなどを尋ね忘れたままフードコートへ戻り、椅子にどさりと座りこんだ。そうしてようやく、自分の両脚ががくがく震えていることに気づいた。覗き魔と目があってから、下着とタイツを引っ張り上げて個室を飛び出すまでの数秒間に「もし犯人が凶器を持っていたら」「もし犯人が出てきて襲い掛かってきたら」などいくつもの想像が脳裏を駆け抜けた。しかし、大声で罵りながら(チェコ語の罵り言葉をあんなにも大きな声で口にしたのはやはり初めてだった)ドアを抜けた次の瞬間にやってきたのは、「絶対に捕まえてやる!」という怒りにも似た強烈な感情だった。そこから犯人捕獲までのわたしの判断と行動は、我ながら怒涛の如く速かった。

パートナーに励まされながら帰宅した後も、多量のアドレナリンが分泌されたためかまったく落ち着かず、それどころか、過去に受けた理不尽な暴力(性暴力)の記憶が呼び起こされてしまい、結局朝まで眠れなかった。恐怖やショックも大きかったが、同じぐらいに昂っていたのは、自分の咄嗟の判断と行動が想像を超えていたからだ。理不尽な行為とその行為者に対してその場ですぐ抵抗を示し、暴力に対して立ち向かった現在の自分の行動は、過去に受けた暴力による傷と痛みを解放した。


次の朝、いつものようにネットのニュースを見ていたわたしの目に飛び込んできたのは、オストラヴァの大学病院で起きた無差別銃撃殺人事件の記事だった。個人的にショッキングな出来事を体験した12時間後、またもや衝撃的な事件が起きた。世界がますます崩壊し、混沌としながら分離していくのを目の当たりにしている気がした。

その日、わたしはパートナーや友人と話しこんだ。話の内容は、世界に充満する波長の変化についてだった。半年ほど前からだろうか、わたしは、プラハの街の雰囲気が以前とは違って、どこか殺伐としていると感じていた。実際に、公共の場でフラストレーションをぶちまける人や、鬱屈した暴力性を他人にめがけて発揮する人に遭遇する頻度が増えている。そう打ち明けたところ、この国に生まれ育ったパートナーも、チェコで長く暮らしている友人も、同じように感じているとわかった。経済格差などの物理的な二極化だけでなく、精神的な部分でも「棲み分け」がますます明確になってきている。

今回の覗き魔との遭遇は、異なるレイヤーに棲む者との接触事故だったのかもしれない。そうであるなら、事故の原因はわたし自身の不用意さだろう。自分が何を意図し、どこにいて、どのような世界に生きるのかということについて、もっと自覚的でなければならないと気づかされる出来事だったと言える。チェコであれ、日本であれ、どこに身を置いていても、自らの状態と位置にしっかり自覚的であるよう常に意識していこう。