2020-07-29 看取り日記
「魂」とか「霊」とか「愛」とかといった抽象的な言葉を、それが何を意味し、何を指すのか、自ら追求したことがないまま口にするのはあまりにお手軽で、それは時に、自他に対する嘘にもなり得る。それが本当に自分の中から出てきた言葉かどうか、そして、それが無自覚な思いこみや機械的な反芻ではないかを自らに問いかけると、安易に用いることはできない言葉/表現だ。
自分自身で考え抜いた言葉ではなく、抽象化された記号としての言葉をただ組み合わせただけの表現は、結局のところ、それを使った本人が「自分がそう口にした /書いた」と満足するためのものでしかない。それは、相手の存在も状態も、自分自身の内的な動きも、真にカウントしてはいないということだ。何でもかんでも即座に言葉=記号にして片付けてしまうのは、本質や実体に向き合わないための欺瞞ではないか。
自分が実は抽象化された記号を組み合わせて「おはなし」を作っているだけだったことに気づくと、安易に言葉にすることがいかに多くのことを隠蔽してしまうかが見えてくる。記号化された言葉は、実体のある存在を記号化してしまう。