諦観

絵であれ、音楽であれ、言葉であれ、無自覚な思い込みや信念の枠に閉じた創作はつまらない。 なぜなら、そこには自己想起がないからだろう。 言うなればそれは「わたしは機械です」と繰り返し述べているようなものだ。 作る人自身の中に破壊と再生、変容がなければ、すべてただ流木のままである。

「藝術は深さとか強さとかを取るべきではない.『諦』である.」 ― 髙島野十郎

「諦」は仏教において真理を意味するそうだ。
「諦める」とは「あきらかにみる」こと。