純粋な喜びのための創作・創造を手段化しないこと
Vが焼いたパンや菓子の写真をSNSに投稿すると、「カフェやパン屋さんが開けるるよ」と言われることがある。そして、それがある種の賛辞であることは理解している。しかし、そのたびに、自分の好きな時に自分が食べたいものを自分で作って楽しむのと、仕事として他者に提供するために作るのとは、全く別のことだなと思う。
実際にVは「これが仕事になったら確実に嫌になる」と言っているし、わたしもきっとそうだろうと思う。写真を撮ることや文書を書くことと同じで、それが純粋な楽しみ、つまり趣味あるいは道楽だからいいのであって、不特定多数の他者に提供して商売にするという”手段”にしようとは思わない。つまり目的が違うのだ。
報酬や評価を得るためではなく、一人で夢中になれること、行為そのものになれるようなことをただただやっていると、無条件に満足していられる。それはある種の忘我であり、純粋に生きている瞬間だからだろう。道楽とはそういうことだ。
純粋な喜びとしての創作や創造=道楽がないと、生は貧しくなる。道楽を何か他の目的のための手段にはせず、道楽のままに守るのは、実はかなり重要なことだ(そして、この道楽は消費ではなく、創作・創造という点がとても重要)。
また、道楽を道楽として守ることは、ひいては「自分を手段化しない、命を手段化しない」ことにも繋がるのではないか。うっかりしているとわたしたちはすぐ自分や自らの人生を手段化してしまう。だからこそ、純粋な喜びとしての創造・創作行為を意識的に楽しむことは、自分を生きる上で重要なことだと言えるかもしれない。
日本を含むいくつもの国で写真展が開催され、写真集も複数出版されているチェコの写真家が、ある時わたしに「ところで、あなたは趣味で写真を撮っているの?」と問うたことを思い出した。わたしが答えるよりも先に彼は「わたしにとって写真は完全な趣味だよ!」と晴れやかな笑顔で断言した。