パステル画を描きはじめた

唐突に絵を描きたくなり、一週間前から毎日パステル画を描いている。パステルを手にするのは初めてだし、絵を学んだこともないけれど、毎日描き続ければ少しは描けるようになるのではないかと思っている。 「わたしには絵など描けない」と長い間思いこんできたけれど、描くことは予想していた以上に楽しくて驚いている。毎日数時間、ひたすら見て、描いて、見て、描いて、見て、描いて、我を忘れて没頭する時間はとにかく愉快だ。描きたいもの、作りたいものがあるので、日々練習していく。…

ベッドで寝ている母の洗濯物を整理する夢

二度寝をしたら、久しぶりに夢の中で母に会った。 建て替えられる前の昔の実家の2階にあった母の部屋に入ると、母がベッドで眠っていた。わたしは彼女がそこにいるとは思わなかったので少し驚いた。部屋の中には洗濯物が散らかっていて、テレビと電灯がついたままになっていた。わたしは、散らばった衣類の中から、洗濯済と思われるものと、まだ洗濯されていないものとを分けていった。母のパートナーが作って取り付けたと思われる室内干し用の竿やラックにも、いくつかの衣類が掛けてあり、一部は脱いだままのようだった。脱ぎ捨てられていたブラウスは皺にならないよう広げた。まだ湿っているスウェットパンツ2つを窓の外に干そうとしたが、雨が降っていた。仕方ないので室内に干そうと広げたところ、パンツの中からぽとりと濡れた使い捨てカイロが落ちた。さらに両裾にもカイロが貼り付いたままになっていたので剥がしたら、ずっしりと重かったパンツはすっかり軽くなった。 ベッドの中で「疲れた…もう嫌だ…」という様相で寝ている母に、いつこの部屋に戻ってきたのかと尋ねたら、「〇〇さんたちの〇〇の後」というようなことを言っていた。どうやら誰かの要望に…

善でもなく悪でもなく

いつも善人であろうなどとは思わないことだ。そもそもそんなことは不可能なのだから。 善だけを自らに望むのは、それ以外を悪にするということであり、善を求めれば求めるほど、悪をますます作り出す。しかし、その悪は認められないが故に影となり、他者に投影され、外側から現れる。 善のみを求めると、人は自分あるいは他者を殺すことにすらなる。なぜなら、善だけを求めるのは、世界を善悪という二極に分断し、一方のみを受け入れ、他方を否定することだからだ。しかし、善も悪も相対的なものであり、光と影はグラデーションで繋がっている。 自分を分断するのではなく、自らの内にある善も悪も認めて初めてわたしたちは真人間となる。自らの内にある善も悪も等しく認めること、すなわち自らの影を統合することは、下降と上昇どちらもの動きをより自由にする。…

世界を作る、扉を作る

どんな手法であれ、何かを作ることはそのまま世界を作ることだと日毎に実感している。それは、そこに独自の世界を生み出すことであり、異なる次元への扉を作り出すことであり、そしてまた、全体の中に新たな記憶をインプットすることでもある。個による創作は宇宙の書き換えに繋がっている。 ただし、そのためには自覚的に作る必要がある。何を意図をして作るのか、どのような意図によって作らされているのか。それは作ることによってしか見えてこないかもしれないけれど。…

テスカトリポカの右足

最近、睡眠中に何かに右足を攻撃されているような、あるいは引っ張られているような体感を味わうことがある。右足がつって痛みで目を覚ますこともあるので、疲労や冷えなど思い当たる理由はいくつもある。しかし、今朝はふとテスカポリトカの名が頭に浮かんだ。最近入手した黒曜石の鏡のことだ。 アステカの創世神話の中でテスカトリポカは大地の怪物と戦って右足を失う。だから、テスカトリポカは絵の中では右足が黒耀石の鏡あるいは蛇に置き換わった姿で描かれる。 ”大熊座の神であり,夜空の神であり,アステカ民族の神殿に祀られた主要な神の一つである。眼には見えず,夜,ねこの姿をかりて徘徊する。また火の発明者,太陽神,強酒の発見者などともいわれ,人間のいけにえを求めたともいわれる。”(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より) テスカトリポカが片足なのは、地に両足はつけないということだろう。地にべったりとくっついて物質世界や人間社会のあれこれに同化していては、陰陽の外へ、ひいては多次元へと自在に移動することなど不可能だからだ。地につけるのは左足のみ、右足は常に浮いている。あちらとこちらを行き来するために、地には定…

知らない旅先の駐車場で

夢の中で知らない旅先にいた。日没後の街を歩いて駐車場へ向かった。わたしは既にそこを何度も訪れており、車も持っていた。2台並んだ車に荷物を詰めている人たちがいて、そのひとつを自分の車だと勘違いして近づいたわたしを、駐車場の管理人が制止した。よく見ればわたしの車は左側に停まっていた。 駐車場にはたくさんの写真が飾られていて、わたしは頭上に並んだそれらを見上げながら「ああ、あの時の写真だね」と話した。すると、たくさんの女性たちがわたしの周囲に集まってきて、管理人たちはその様子を写真に撮り始めた。女性たちはみな笑顔でとても嬉しそうだった。…