死者のまなざし
ふとした時に死者の視点で世界を眺めているような気がすることがある。まだ生きているつもりでいるけれど、実は肉体的にはとっくに死んでいるかのような感覚。ひたすらにしんとした心地。 そして生と呼ばれる側のすべてがあまりに儚い幻として見える。何もかもが一瞬で移ろい消えていく。 永遠は死と呼ばれる側にある。ということは、ポエジーは死の中にあるということだろう。それは死の側から見る生、あるいは死と生を見渡すまなざしかもしれない。…
Sunset over the Lake Jordán, February 2022 6×6 Driftwood Pinhole Camera Fomapan 100…
ぜんぶわたしだった あの人も あの犬も あの鳥も あの花も あの海も あの雲も あの風も あの星も ぜんぶがわたしだった ではいったい ほんとうのわたしなどというものはどこにあるのだ…
ふとした時に死者の視点で世界を眺めているような気がすることがある。まだ生きているつもりでいるけれど、実は肉体的にはとっくに死んでいるかのような感覚。ひたすらにしんとした心地。 そして生と呼ばれる側のすべてがあまりに儚い幻として見える。何もかもが一瞬で移ろい消えていく。 永遠は死と呼ばれる側にある。ということは、ポエジーは死の中にあるということだろう。それは死の側から見る生、あるいは死と生を見渡すまなざしかもしれない。…
Swan, March 2022 6×6 Driftwood Pinhole Camera Fomapan 100…
Leica R6.2 Summicron R f2/50mm Fomapan 400…
Leica R6.2 Summicron R f2/50mm Fomapan 400…
思いを言葉にするなどというけれど、思いの大半は過去に基づくただのパターンなので、思ったことを反射的に言葉にしつづけている限り自分という機械性からは抜け出せない。 むしろ、そうした機械的な自己の外側にある/外側からやってくる情報を受け取ることが重要で、そのためには自動的に浮かび続ける思いの外に自分を置く必要がある。…
夢の中ではわたしは旅先にいた。旅の間に着る服をあまり持ってこなかったという理由で、わたしはすぐに着られそうな服を探しに出かけた。ファッションセンスのいい昔の友人が一緒にいた。 いくつかのブティックを訪ねてみたものの、気に入る服は見つからなかった。夕暮れ時でそろそろどの店も閉店が近そうだったので、わたしはその日は諦めることにして、翌日にまた別の店を訪ねようと思っていた。 どうやらそこは東京で、わたしは表参道か銀座へ行きたかったが、宿泊先からの交通が少し面倒なので、新宿に行くしかないかななどと考えていた。…