霊鳥ズー

以前、水晶玉の中にはっきりと見えた、雌ライオンの頭と猛禽類の羽根を有する存在が彫られたフリーズ(パネル)はこれだろう。ズー(Zū)あるいはアンズー(Anzū)という呼称のメソポタミアの霊鳥。 ズーはライオンの頭を持つ巨大な鳥で、その翼で嵐や雷を巻き起こす。『ルガルバンダ叙事詩』では、主人公に力を授ける霊鳥として登場するが、後の時代に作られた『ズーの神話』では、「天命の書板」を盗んだ怪鳥として戦闘の神(元は農耕と治癒の神)ニヌルタによって退治される。 主神に仕えながら主神権の象徴である「天命の書板」を盗み出したズーは、つまりはシャヘルであり、ルシフェルだ。また、エジプト神話の霊鳥ベヌにも繋がっているだろう。 イナンナが聖なる園(エデン)に持ち帰って育てた世界樹が天まで届くほど大きく育った頃、ズーがやってきて、この世界樹の上に巣を作り雛を育てはじめた。さらにこの世界樹の根には蛇が巣を作り、その幹にはリリスが住処を作った。 神話の中では、イナンナは双子の兄である太陽神ウトゥに助けを求め、ウトゥは世界樹の根に住んでいた蛇を退治する。ズーは子どもたちとともに天の頂まで昇り、そこに巣を作る…

カストールの代表者、目的はゾスマ

わたしのヘリオセントリック土星はカストールと合で、松村潔氏の解説によれば、わたしは地球上ではカストールの代表者だということらしい。このヘリオセントリック土星には、ズベンエルゲヌビと合となる水星が120度で、単純に言えば、わたしは「社会活動家的な物書き」だ。わたしの地球ポイントはゾスマと合なので、これはわかる気がする。獅子座の恒星ゾスマは、マイノリティや犠牲になった人々を載せる獅子の背だ。 わたしがよく犠牲者意識について考察しては書いているのは、まさにこのゾスマの力だろう。ゾスマは、社会などの大きなシステムの犠牲になることを暗示すると言われるが、それはつまり、システムの犠牲者を助ける側に回ることも可能だということだ。(自らの考え方や思い癖によって)自分を犠牲者にしてしまいやすいからこそ、被害と加害というコインの裏表もよくわかるのだろう。 若かりし頃のわたしは確かに根強い犠牲者意識を持っていて、自分のさまざまな生きづらさを、生まれ育った環境や他者のせいにしていた。しかし、今になって振り返ると、あれは結局、自分で自分を引き受けようとせず、“今ここ”から自らの人生を作っていくのを拒否し…

では、あなたはどうしたいのか

チェコに移住する前の一年半ほどの期間、わたしはある役割のため、チェコと日本を行き来するだけでなく、あちこちへ旅をすることになった。そうして旅先では、なぜかいつもその場その時に出逢った人々から悩みを打ち明けられ、話を聞くことが多かった。中には友人となり、今でもたまに連絡を取り合う人もいる。 あれは、わたしが単独で旅をしていたからこそ起きた展開だったのだろう。旅人だったわたしは、彼らにとっては云わばマレビトであり、風であったのだと思う。 ある国では滞在したホテルのオーナーから家族に関する悩み事を打ち明けられ、別の国では自殺未遂をしたという若者から話を聞いた。ここ数年は用事も兼ねて日本へばかり出向いていたが、日本ではいつも誰かから打ち明け話を聞く機会が重なる。思えば昔からそうだった。 これまであちこちで多くの人から打ち明け話を聞いてきて感じるのは、悩みや問題の大半が、両親あるいは家族との関係に起因しているということだ。親あるいは家族との間に生じた(作り出した)感情と、それを受容できないが故の葛藤が、その後の本人の思考や行動、あらゆる選択に繋がっている。 自らで認めて受け入れること…

さくらのにおい

昨夜、ペルセウス座流星群を観察していた間に、ふと、さくらのにおいが感じられたような気がした。わたしの大好きなあの特有のにおい。日本ではちょうどお盆の時期だ。…

バスで移動して宗教施設に向かう夢

今朝の夢。 旅先でバスに乗っていた。わたしは空港へ向かっていて、さらにそこから遠くの目的地へ向かう予定だった。その前に空港の近くで一晩過ごさなくてはならず、ある宗教団体が運営する巨大な施設に併設されたホテルに宿泊することにした。そこがどういう場所なのか少し興味が湧いたからだ。 バスの中はかなり混雑していた。わたしはスーツケースを持って最後部座席に座っていた。やがて目的の停留所に到着し、わたしは「ここで降ります」と言った。すると、立っていた人たちはみな前方へと速やかに移動して通路を空けてくれた。そのあたりで、自分の隣に座っていたのが池田大作だったことに気づいた。わたしの左隣に座っていた彼の身体はわたしよりもずっと小さく、その気配はまるで置物のようでもあった。 バスを降りてしばらく歩くと、広大な緑の庭園が見えてきた。いくつかの施設が程よく距離を開けて建っていて、向こうには山が連なっていた。そこは宗教施設でありながら観光地でもあるようで、手入れされた庭園の中を散策する観光客らしい人たちの姿もあった。 過去にも夢の中で、宗教団体が管理運営しているらしい山の中にある広大な庭園施設を訪…

描くのは愉快か苦痛か

ほんの数年前の自分に「何年後かに突然絵を描きはじめて、やがては毎日描いているよ」と言っても、当時のわたしは「そんなはずないよ」と思っただろう。 描くのが楽しくて描きたくてたまらずに描いているというよりは、毎度説明しがたい苦痛を覚えるのだが描かずにはいられないので描きはじめる。ひたすら描くことでしか磨けないし、描き続けることでしか本当に描くべきものは出てこないので、観念して描いている。 とはいえ、描きはじめると無心になって時を忘れている。最近は自覚的に手を止めて、時間と距離を置いて何度も眺め直しながら描き進めるようにしている。以前のように過集中した後に寝込んでしまうようなことはなくなった。…

大型客船の特別室とアルクトゥルス

今朝の夢。 わたしは大きなホテルの客室にいた。大型客船の中だったような気もする。そこは特別室らしく、一般通路に設置された隠し扉から階段を昇って辿り着くようになっていた。他にも数組の客が同じ階段を使って特別室に向かっていた。みな、いかにも裕福そうな身なりと佇まいだった。 100㎡はあろうかという客室には真っ白なシーツに覆われたふかふかのキングサイズベッドが二つ置かれていた。部屋中がふかふかした白いベッドとクッションで覆われてるような印象でもあった。そして、広々としたバルコニーからは大きな青い海を眺めることができた。 その客室にはわたしの他に某作家夫妻も滞在しているようだった。わたしは彼らにベッドを譲る方がいいかと思い、間仕切りの向こう側にある部屋で寝ることにした。 両引き戸を開くと、ベッドがある洋室とは雰囲気がまるで異なる畳敷きの広い和室があった。わたしは、あまりの気配の違いに少し戸惑った。その部屋はかなり使い古されているようで、畳には染みのようなものもあった。畳の上には仏壇前にあるような、あるいは座禅用のような座布団がぽつんと置かれていた。わたしは、ベッドのある部屋の方が快適そ…