白昼夢の中のモン・サン=ミシェル

今日は海の向こうにモン・サン=ミシェルがはっきりと見えていた。 まだ東京に住んでいた頃、仕事帰りの地下鉄で見た白昼夢のようなビジョンを今でもよく覚えている。それは美しい海だった。私は足首まで海水に浸かり、遠くの対岸に建つ特徴的な建物のシルエットを眺めていた。そして、そこには懐かしい人がわたしを待っていると感じていた。わたしは白いリネンかコットンのシンプルなワンピースを着ているようだった。水の感触は心地よく、不思議と懐かしい光景だった。 後で調べてみると、ビジョンの中で眺めていた遠くに浮かぶ建物は、モン・サン=ミシェルによく似ていた。 あれは、いつかの過去かもしれないし、あるいは未来を垣間見ていたのかもしれない。…

Cancale - Day 3

雨が降りはじめたかと思うと、数十分後にはまた晴れわたる。 くるくると移り変わる光と色。終わることのない変化をずっと眺めていたい。…

何をするために此処へ来たのか

今回のブルターニュへの旅は、出発時から嬉しい驚きが続いているけれど、まるで何かに護られ、そして導かれているかのように感じられてきた。まだ2日目だというのに、人生でもそう多くは体験しないだろうというような特別な時と出逢いが何度も与えられている。昨日お会いした Catherine Hutterさん との対話の中では、自分が何をするためにこの惑星に来たのかを思い出すような瞬間もあった。話しながら身体が震え、何度も涙がこみ上げた。…

パステル画家Catherine Hutterさんを訪ねて

カンカルに到着後すぐに、今回の旅の一番の目的である Catherine Hutterさん のギャラリー兼アトリエを訪ねた。 実際に間近で見る彼女の作品はあまりにすばらしく、言葉では言い尽くすことができない。どの絵もまさに異世界への扉であり、そこには永遠の時が流れ、止まらぬ変化があり、無限の生と死があった。 Catherine Hutterさんは思っていたとおりとても素敵な方で、たくさんお話をしてくださり、わたしは彼女の言葉に耳を傾けながらひたすら共振していた。お会いする前からわかっていたが、わたしはただ彼女の作品に惹かれただけではなく、彼女が見て、感じ、変容し、創り出そうとしている目には見えない“何か”に共振し、その彼女の眼差しと終わりなき専心に惹かれたのだった。 彼女からは、わたしの絵に関して、あまりに光栄すぎてしどろもどろになってしまうほどの褒め言葉をもらった。そして、「次はぜひ一緒に絵を描きましょう。わたしの仲間の画家たちも呼んで、みんなで描きましょう。」と言ってもらった。わたしは必ずまた彼女に会いに来るし、この地を何度も訪れるだろう。 最後に、わたしが彼女の名を知るきっ…

Cancaleの海

Pastels Girault を通して知った素晴らしい画家 Catherine Hutterさん のギャラリーを訪れるため、フランスはブルターニュ地方、モン・サン=ミッシェル湾に面する小さな港町カンカルに来ている。 ここの海は見たことのない色をしている。この辺りは「エメラルドコースト」と呼ばれていて、海はまさに緑と青が絶妙に混ざりあったとても美しい色をしているが、それだけでなく、まるで内側からうっすらと発光しているかのように銀色を帯びて、しかもその色は刻一刻と変化していく。ここはまた、欧州で最も干満差が大きい海でもある。常に変化し続ける水と空、そして風の音と鳥たちの声。どれだけ眺めていても飽きそうにない。…

思いもよらないギフト

ポーランドの画家 Malgorzata Majさん からすごいギフトが届いた!なんと三角形△!わたしが以前彼女に話した幼少期の記憶(大きな光る飛行物体との遭遇)からインスピレーションを受けて描いた絵だそうだ。形にも色にもわたしの感覚と物語に繋がりが感じられてとても嬉しい。 彼女とはInstagramを通じて出会い、今月初旬に彼女がプラハを訪れていた際に初めて顔をあわせた。出会った頃から何かと共通の話題が多く、互いの体験や内的世界について、また宇宙や夢や異次元についてなど時々メッセージを交わしている。わたしが彼女の作品や体験談に触発されて描いた絵もある。…

日食はレールの切り替え装置

今月は普段よりも多くの人々と言葉を交わしている。人の話を聞いては考えを述べる機会が続く。そうして話を聞いていると、先送りにしてきたことや、手をつけられずにきたことに、向き合わざるを得なくなったり、取り組まざるを得なくなったりしているケースが多い。 ショッキングな出来事が続いている人もいれば、まったく異なる世界を目にして価値観に変容が起きている人もいる。冥王星の動きと位置や、他天体との配置だけでなく、やはり蝕の時期なのだなと感じる。下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし。そして、世界に見ている大変は、個の中でも起きている。大変に苦しむのか、それとも流れに乗れるかは、自我意識の在り方あるいは置きどころ次第だろう。 日食は上位の意識が介入するポイントであり、タイムラインの方向を変えるレール切り替え装置だ。上位の意識が関与することで、下位の機械的コースは変わる。自己同一化の中で眠りこむのではなく、しっかり目を覚まして意志を働かせ、日食にあわせて飛び込めば、その後は違う世界になる。…