立て続けに中国奥地の夢を見る

夢の中でわたしは中国内陸部らしき地にいた。そこにはたくさんの歩兵が集まっていた。服装や装備から察するに、彼らはかなり古い時代の人々だった。ある者はモンゴルから来たと言い、またある者はウイグル族だと言っていた。頭を丸めた人が多く、力強い目付きと、小柄ながらもたくましい体つきが印象的だった。彼らは歩兵でもあり、功夫の達人のようでもあった。そこは赤く乾いた土が延々と広がる平原で、わたしの足元はうっすらと靄がかかっており、どうやら歩兵たちは目の前にいながら、別の次元に存在しているらしかった。「歩兵」という言葉を思いながら、目の前には見たことのない漢字が浮かんでいた。確か「冠」に似た漢字だったと思う。 一昨日は、中国の奥地という設定の場所(地図では西から東へ向かっていた)へ向かう夢を見た。中国人という設定の男性が運転する車の中から、飛ぶように流れていく景色を見ていた。時速は200km以上、300kmに近かったかもしれない。高速道路の周囲にはひたすら深い森が続いていた。やがて奥地の小さな村に辿り着き、車を降りて、民家が並ぶ細い通りをさらに奥へ向かった。突き当りには、深い森に囲まれた神社か廟のよう…

2020-03-18 外出制限発令後の記録‐2

COVID-19感染のため自宅隔離状態にあるプラハの学生二人が、実際の症状や、検査を受けるまでの経緯、現在の状況や心境などをおさめたYou Tube動画をアップロードしていた。彼女たちの最寄駅はどうやらわたしの自宅の近くだ。彼女たちは「地下鉄の中か買い物中に感染したのではないかと思う」「潜伏期間にあたる時期にも大学の授業に出ていた」「発表されている感染者数よりもずっと多くの人が感染しているはず」と言っていた。 わたしが2月以降、地下鉄やトラムに乗ってオフィスおよび語学学校へ行くのを躊躇するようになったのは、彼女たちが言うように、既に感染者はそこかしこにいるだろうと思っていたからだ。 2月後半にパートナーが発熱した(一日で熱は下がって数日で回復した)際には語学学校に連絡をしたが、感染危険国への渡航歴がなければ問題はないと言われた。結局わたしは念のため自宅隔離を開始し、自主的に通学を中断した。それ以降の授業はすべて欠席している。勤務先にはすぐに在宅勤務を願い出た。今になってみると、わたしが感じていた戸惑いと、それ故の判断は間違いではなかった。…

2020-03-16 外出制限発令後の記録

国境が封鎖され、商店の大半が営業を停止し、外出制限も出されたけれど、わたしが暮らしているプラハ郊外は静かなエリアだからか、いつもとあまり変わらない。近所への散歩程度の外出は許されているので、徒歩10分ほどのところにある大きな公園や渓谷にも行きたければ行ける。元々引き籠って暮らしているから、生活はほぼ普段通りだ。 先週までは、静かになったプラハの街の写真を撮りに行くつもりでいたが、感染拡大予防措置として外出制限が出た今となっては、自分の安全だけでなく、他者を感染させるかもしれないリスクを負ってまで出かける気にはならない。それよりも、自宅に籠ってできることをやる方がいい。静かに止まるのは快適だ。暇と退屈こそ貴重な創造性の源だろう。 2011年の震災直後、東京の街が静かになり、夜がちゃんと暗くなって快適だったことを思い出した。…

2020-03-15 チェコ国境封鎖後の記録

物理的移動と活動を減らす/止めるのは、治療法のない新型ウイルスの感染拡大をなるべく少なくとどめるためであって、自粛/萎縮とは別のことだ。これはむしろ、今まで外に求めていたことを、内に見い出す/内から作り出す=独自の創造性を発揮するいい機会だろう。「これまで通り」を脱ぎ捨てて、物理的な移動や接触がなくてもできる、新しい表現や方法を自分で作り出すことだ。 以前から、多くの占星術師が、2020年は世界構造の土台が変わる破壊と再生のピークだと言っている。長い間信じられてきた価値観が通用しなくなる時。流れを遅らせる古い方法は淘汰され、より速く流れる方法へと切り替わっていく。集めて、貯めて、積み上げる時代の終焉。数百年単位の新陳代謝。旧来の方法を脱して、より柔軟に動く個々から、まったく新しい世界が始まっていくだろう。変化に代償が伴うのは当然のこと。この新型ウイルスによる停止と破壊がいつまで続くかはわからないが、その後に始まるだろう創造と新たな世界を思うとワクワクする。…

詩とは形ではなく、その中に流れる本体のこと

詩は自我の慰めではない。むしろ詩は、思想や信念に張り付いて留まろうとする自我を破壊するものだ。 詩とは、信念や思想を語る言葉ではなく、わたしをそれらから解放する言葉のことをいう。詩の感情とは、信念や思想に基づいて機械的に繰り返される自我レベルの反応ではなく、自我を超えてやってくる、そして、自我を突き破って放たれる、とても速くて強い希求と呼応だ。 数日前に突如やってきたこれらの言葉がじわじわと腑に落ちた。詩による自我(の都合)の破壊とは、一方向に流れる時間に運ばれるしかない固形物(肉体)としてのはかない生から、わたし本体を解放する働きだ。 詩とは、形ではなく、その中に流れる本体のこと。…

ヴァーツラフ・ハヴェル『力なき者たちの力』

政治リーダーの「耐えられない軽さ」。日本人に聞かせたいハヴェル元チェコスロバキア大統領の言葉(水島宏明) - Yahoo!ニュース ニュースでウンザリしてしまう安倍首相ら日本の政治リーダーの空虚な言葉。そんな中でNHK「100分de名著」が元チェコ大統領news.yahoo.co.jp [https://news.yahoo.co.jp/byline/mizushimahiroaki/20200224-00164321/?fbclid=IwAR2KwfVrWVmfNMwmDhuY00G7Z0dviyL7TLyAMTBCNp4EbzzW-VriOuSjTiI] 「権力は自らの嘘にとらわれており、そのため、すべてを偽装しなければならない。過去を偽装する、現在を偽装し、未来を偽装する。統計資料を偽装する。全能の力などない、と偽り、なんでもできない警察組織などない、と偽る。人権を尊重している、と偽る。誰も迫害していない、と偽る。何も恐れていない、と偽る。何も偽ってない、と偽る。それゆえ、嘘の中で生きる羽目になる。」 この文章は、主語を「わたし」に置きかえても意味を成す。というよりも、…

事実と情緒は別のもの

他者(特に政府や政治家等)を批判する文章の中で時々目にする「こんな~で恥ずかしい」という表現にずっと違和感を覚えていたが、その感覚が不意に言葉になった。 これも、物理的事実を情緒に変換するという言語(日本語)の作用ではないか。 目の前にある物理的事実と、それに対して生じる個々の情緒は別のものだ。事実と情緒を混ぜこぜにすると、事をありのままに認め、それに対して主体的に決断し、行動することが難しくなる。さらに言えば、事実を認めないまま目を逸らし、自分を欺くことができてしまう。「恥ずかしい」と感じるかどうかとは関係なく、事実が「在る」としっかり認めることによって、ようやくわたしたちは思考と行動を始めることができる。それは、たとえ不快な事実であれ、目に映るすべてを自分事として引き受けることだ。 このことをパートナーに話していたら、チェコでも現首相に対する批判の中に「恥ずかしい」という声があるそうで、それに対し、チェコ海賊党の党首がわたしとほぼ同じことを言っていたそうだ。…

水鏡

眠りに就くとき、自分が深い水底に横たわっているような感覚を抱くことがある。たっぷりと満ちた音のない水の底から、青緑色の水面を見上げているイメージが浮かぶ。そういえば、過去に受けたヒプノセラピーの中でこんなシーンを見た。わたしは、岩に囲まれた小さな洞窟の中で、乾いた赤土の上に横たわり、ぽっかりと開いた岩天井から覗く青い空を眺めていた。あの時、自分が遥か遠くのどこかと繋がっている感じがした。いつの間にか、あの感覚は目覚めている時にも備わるようになった。…