犬になったり人間になったりする夢とリカオンとの遭遇

これは今朝見た夢のうちのひとつ。 大きな広場で屋外イベントが開催されていた。テントの中では人々が料理を作っていて、味付けされた肉や魚に葉野菜が重ねられたものがテーブルの上で山盛りになっていた。 すぐそばの地面で寝そべるさくらの身体の上に、取り除かれた葉野菜の外側でデコレーションがなされているのを見つけた。わたしが声をかけると、さくらは立ち上がった。何人かの人たちがさくらの写真を撮ってもいいかと尋ねてきたが、さくらは「この場所を離れよう」と言った。 わたしたちは別の場所へ向かって歩き始めた。ふと気づくと、わたしの身体はいつの間にか犬になっていて、さくらと並んで四つ足で歩いていた。少し離れたところにリカオンの親子がいて、こちらの様子を伺っているのが見えた。 そして、2匹の子リカオンたちが、興味深そうにゆっくりとわたしたちに近づいてきた。さくらは少し警戒していたが、リカオンたちからは攻撃的な気配は感じられなかった。やがて親リカオンも近づいてきて、わたしたちのにおいを嗅ぎ、友好的な態度を見せた。さくらも安心したようで、リラックスしていた。 わたしの身体はいつの間にか人間に戻っていた。…

緩み上手な身体には悩みがない

昨日までは頭の右側がじんわり痛んでいたが、今日はそれが左に移った。冬に向けて身体が閉じていくのを実感している。身体(骨盤そして頭蓋骨も)は左右同時には開閉しないため、右と左にずれが生じるのは当たり前で、そのズレがさまざまな不快を生じさせるという、片山洋次郎氏の著書に書かれていたことを思い出す。 > 片山洋次郎『整体。共鳴から始まる』(ちくま文庫) 人と人、人と動物、人と植物、人とモノの間にも何らかのつながり、連続性、浸透性を実感することがある。この互いに共鳴し合う作用、あるいは働き合う意思を「気」と呼ぶ。 元気があるなしは、周りの世界とのつながり具合に依存する。 pic.twitter.com/LtHJIERu67 [https://t.co/LtHJIERu67] — +M (@freakscafe) June 4, 2021 [https://twitter.com/freakscafe/status/1400649480253313027?ref_src=twsrc%5Etfw] 意識が気づいていようといまいと、…

楽観でもなく、悲観でもなく

「楽観でもなく、悲観でもなく、そこに在るもの、そこに起きていることを、ただ見て認める」 そこにある存在や事実と、それに対してどのように感じ思うかは、まったく別のことだ。都合によってそれらを混同するから、”問題”を作りつづけてしまう。 存在は存在のままに、事実は事実のままに、そこに在るものをただ認めること。そして、それらに対して生じる自らの感情や思いを、認め、引き受け、味わうこと。何かに対して生じる自らの感情や思いもまた、そこに在る事実であることに違いはない。 自分の外側に在るものも、自分の内側に在るものも、まずはそこにただ在ると認めること。そこに確かに在るものを、都合で無視したり、蓋をしたりしないこと。それは、自己同一化に気づき、そこから脱すること(=自己想起)でもある。 都合に同一化せず、感情や思いに同一化せず、ただ在るものを在ると見る。これには自覚的な訓練が必要で、そして、これは(この地上で肉体を持って)生きている限り続いていく。…

「愛する」には自立が必要だ

Facebookにも投稿したこの記事 [https://www.hvezda369.cz/2021-10-09-2/] に「愛情を注ぐには『正しい理解』が必要ですね」という内容のコメントをもらった。そこで改めて、「愛する」とは、その存在を「自分とは別なる完全な個である」と認めた上で、その存在の健康と快適と自由を護り、その生をサポートすることだと思った。自分の気持ちや都合次第で、相手の健康を損なうほどに甘やかすのは「愛」ではない。 また、動物のケアをするにあたっても、人間の場合と同様に、専門家に全てを委ねるのではなく、自らがまず起きている事実を認め、知り、なるべくなら少しでも学んだ上で、知識や経験に基づく広い視野を持つ専門家の協力を得て共に考えることが大切だ。自分勝手な思い込みを信じるのではなく、かといって他者に丸投げするのでもなく、対等にコミュニケーションを図って協力することの重要性を改めて実感する。 「愛する」にはまず自立が必要なのだ。自分を愛するにも、他者を愛するにも、まずは自らでしっかりと立つ必要がある。それは、事実を引き受け、自らを受け入れることだ。そうして、自他の違いを自…

さくらの健康状態の変化についての考察

さくらの腎臓の状態が急速に回復したことについて改めて思い返していた。 昨年8月に日本で血液検査を受けた際、既に獣医からは腎臓の数値が少しずつ悪化していると言われていた。しかし、加齢によるものだろうという判断で、投薬内容の変更等の提案はなく、その他の治療や食餌の見直しについても何も言われなかった。 昨年10月からチェコで通い始めた近所の獣医より、抗がん剤やステロイド剤は当然ながら体への負担は否めないので、寛解状態が続いているのであれば、一度オンコロジストの診察を受けてみてみはどうかとアドバイスを受けた。そして、紹介された大きな動物病院で検査と診察を受けたのが今年の6月だった。 血液検査の結果、やはり腎臓の数値があまり良くないので、抗がん剤もステロイド剤も減断薬した方がいいだろうという診断を受けた。さらに、そこで初めて、そもそもの治療の発端であった胃腸の炎症の原因は食物アレルギーだった可能性もあるということで、栄養士とともに食餌内容を見直すことになった。 抗がん剤とステロイド剤の減薬は順調に進み、いずれもスムースに断薬に至った。それと同時に食餌の内容と量も大幅に変わった。現在さくら…

まったく別の人生、犬生

ある人から「さくらは全く別の生を生き始めたから若いのではないか」と言われ、その通りだと思った。現在のさくらは、日本で母と共に暮らしていた頃とは、環境も、日々の活動や暮らし方も、食べ物も、受けているケアや医療も、全く異なる犬生を生きている。表情も行動も随分変わった(食欲は変わらない!)。 さくらと同じく、わたしもまた、つい数年前の自分とは全く異なる日々を生きているし、自分の状態も、視点も、感覚や思考も、言動も、以前とは全く違うと実感している。何度も書いたように、以前の自分は過去世のように感じられる。だから、さくらが全く別の生を生き始めたというのもよくわかる。…