モーリス・ラヴェルを聴きながら昔を思い返す

モーリス・ラヴェルを聴きながら昔を思い返す

精神疲労が重なった時や心身の調子がよくない時には、幼少期に繰り返し聴いた音楽が頭の中で流れる。思えば音楽は私にとって自分を守ってくれるシェルターのようなものだった。チェコで暮らし始めてから普段あまり音楽を聴かなくなったのは、シェルターとしての音楽を必要としなくなったのかもしれない。

モーリス・ラヴェルの存在を知ったのは小学校の音楽室だった気がする。音楽室の壁に並んだ著名な音楽家の肖像画/写真を見上げては、彼らの作品を順番に聴いた。その中で特に気に入ったのがラヴェルの楽曲だった。彼の音楽がもたらす色彩が心地よかった。この曲を聴いていると、子ども頃に見ただろうささやかな情景と、その光や色、感触が蘇ってくる。

つい最近、あるDV事件に関する記事の中で、「被害者の精神力は暴力を避けることに費やされるため、虐待から抜け出す方法を考えることが難しくなる」という心理学者の解説を目にした。自分の幼少期から思春期を振り返って、私もまさにその通りだったと実感した。私の人生は長らく、暴力とその恐怖から逃れることのみに費やされた。

18歳で親元を離れた後も、逃げることと自己を回復することに精一杯だったので、自分が何をしたいのか、どんな人生を歩んでいきたいのかなど考える余裕がなかった。ひたすら逃げ続け、日々生き延びるのに精一杯だったと思う。そうした中で音楽は、精神的な逃避であり、また、心の拠り所だった。

どこまでも追いかけてくる母親から逃れ続け、やがて日本での生活に行き詰り、すべてが自己欺瞞だったと気づいた後、弾き出されるように日本を離れた。あれは私にとっての最適解だったと思い返すたびに確信する。あの時飛び出していなければ、絵を描き始めることもなかったかもしれない。

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