旅の目的

先日、ある人(チェコ在住日本人)との会話の中で、彼女が2月に日本へ行くと聞き、「ヨーロッパは何もかも値上がりし続けていて高いし、同じお金を使うなら、日本へ行く方が、日本のごはんも食べられるし、買いたいものもたくさんあるし、他にも愉しめることが多くていいよね」という話になった。海外在住の日本人にとっては、日本にいる家族に会いに行くことが日本へ足を運ぶ目的であることも多いだろうから、他の国や地域への旅と直接比べるのは難しいかもしれないけれど。

更に続いた会話の中で、彼女が「まだまだ行きたいところはたくさんあるし、身体が動けるうちに行っておきたい」と言った時、ふとあることに気づいた。わたしはもう、以前のようにいろんな場所へ行きたいとは思わなくなっているようだ。

いずれ訪れる/再訪するつもりの場所は確かにあるけれど、「行きたい場所」は随分減った気がする。以前は、特に日本にいた頃は、いつも旅に憧れていたし、世界中に行ってみたい場所がたくさんあった。しかし、いつしかそうした「どこかへ行きたい」という欲求が薄くなったのは、現在のわたしが今ここに在る自分(の生活や状態)に満たされているということなのかもしれない。きっと、「ここではないどこか」に逃避する必要がなくなったのだろう。

わたしが旅を考えるのは、見たいものがあるとか、人に会いに行くなど、何かしら特定の目的がある時だ。いずれにしても、旅先での滞在には十分な時間の余裕と余白が不可欠になった。短い滞在と移動を重ねるような旅はもうしたくない。というか、体力的にも精神的にも無理になってしまった。

行きたい場所が減ったとはいえ、たとえば、アクセリ・ガッレン=カッレラ展にあわせて今年またフィンランドへ行こうかと考えているし、ブルターニュやアイルランド、ポルトガル等々、人に会うために出向いてそのまましばらく滞在したい場所もある。また、ケルト海沿岸部、スヴァールバル諸島、グリーンランド、はたまたニュージーランド、南極大陸など、その自然と野生動物を見に行てみたいなと思う場所もある。

時には、SNSでいつも見ている犬に会いたくて旅を計画することもある。好きな芸術家の作品、どうにも惹かれる自然の眺め、そして動物が、旅の目的になることが多い。たとえば、昨年久米島を訪れたのは、夢で見た場所によく似た風景を見てみたかったからだ。旅の目的が変化したともいえるかもしれない。