悲嘆を通過して

2023年7月にさくらが旅立った後、わたしはしばらく完全な悲嘆状態(鬱状態)に陥った。その最中も、少し立ち直ってからも、自分が抱えるあまりに大きな喪失と、その悲しみ、痛みを、きちんと聞いてもらった相手は、共に暮らしているV以外いなかった。

幼友達にはメッセージを通して話を聞いてもらってはいたけれど、口頭で話す機会は無かった。昨年10月に訪れたブルターニュで、現地に暮らす友人と食事を共にした際、さくらのことを話しているうちに涙が溢れて止まらなくなった。彼女にただ話を聞いてもらい、素直に泣くことができて、とても救われたのを覚えている。

しかし、そのブルターニュ滞在中に、母の内縁の夫が急逝したため、またわたしは多忙な状況に追われることとなり、自分の悲しみや痛みを感じて言葉にする時間がなくなってしまった。今年の年始に一人でヘルシンキで短い休暇を過ごし、その後数ヶ月の鬱期間を経て、ようやく悲嘆を通過できたのだった。

今でもこうして書いていると涙が込み上げてくるけれど…ね。