会いたい人に偶に会うだけでいい
毎度のことだが、日本滞在から戻った後は、PMSの身体的症状が強く現れていつも以上に辛い。身体のあちこちの痛みと倦怠感、のぼせるような感覚も強くて、物事に集中するのも難しい。そうして毎回、日本に滞在していた間にどれほど肉体的に無理をしていたかを思い知る。
思い返せば、まだ日本に実家があった頃も、わたしは毎回睡眠不足に陥っていた。実家に滞在していた間は母や彼女の内縁の夫の生活ペースに合わせるしかなかったし、扉だけで仕切られたワンフロアの室内で常にテレビが点けっぱなしになっているような環境では、静かに休むことはできなかった。
これまでの日本滞在の中で、睡眠と休息が十分にとれてリラックスできていたのは、2022年に一人で熊本に5日間滞在した時だけだったかもしれない。行きたい場所はあったけれど、予定は決めないままの自由な一人旅だった。
日本以外にもあちこちへ一人で旅をしてきたが、旅先で眠れないということはなく、何処にいても眠りたいだけ眠ってのんびり過ごした。しかし、日本滞在中はそれが難しい。ということは、わたしは日本では常に緊張状態にあるのだろう。日本ではいつも手続き等複数の用件に追われる上に、人と会う予定も多くなりがちで、一人で静かにリラックスできる余白が足りなくなる。
今後日本へ行く時は、もう家族や財産に纏わる手続きに追われることはないけれど、それでもきっと何かしら用事があって出向くので、人と会う予定はさらに減らそうと思う。そして、誰かと一緒にではなく、一人で好きな場所へ出向いてのんびりと過ごしたい。
こうして書いてみると、やはりわたしは人に会うことをあまり必要としていないのだとわかる。もちろん、親しい人とは偶には会いたいし、昨年ある画家のアトリエを訪ねてブルターニュまで足を運んだように、自分が会いたい人には会いに行く。しかし、それ以外の人と会うことは必要ではないようだ。
わたしには、新しく知り合いを増やしたいとか、多くの人と出逢いたいとかという望みはない。同じように、あそこであれを食べたいとか、あちこちへ旅をしたいという望みもない。ただ、行きたい場所には一人で行くし、会いたい人には会いに行く。一度の邂逅で十分な時もあれば、気に入った場所に何度も通うこともある。
これまでは「人と会うと疲れる」とか「人と会う必要がない」と明言するのは避けてきたけれど、今後はさらに正直になろうと思う。自分の神経症(OCD)やADHD傾向について、親しい人には正直に話しているし(彼らはわたしが自覚するより前から気づいていたようだが)、それと同じことだ。
ここまで書いて気づいたことがある。わたしが会いたい人とは、隣に並んで、あるいはそれぞれの位置で、目に映るものを眺め、やってくる音を聞き、そこに在るものを観察し、共に居ながら個別の感覚を愉しみ味わうことが出来る人たちだ。ただ静かに寛いで、同じ場に身を置いていられる人たち。
先日、田中一村の作品を再び実際に見ることができた際に、「ああ、一村さんはやはり人間には興味はなかったのだなあ」と改めて実感し、また安心したのを覚えている。その点はわたしも似ているからだ。