役割と本質
わたしが日本へ行くのは大抵何かしら義務や手続きを果たしに行く時であり、さらに、日本滞在中は毎回複数の人から相談を受けたり、打ち明け話を聞いたりすることになるので、日本へ行く=役割を果たしに行くことと認識している。そうしてある程度の無理は覚悟して、自覚的に役割を担っている。
わたしは、云わばアウトサイダーであり、だからこそ、日本にいる友人知人にとっては、彼らが属する集団や社会とは異なる視点や風をもたらすマレビト/メッセンジャーになり得るのだろうと思う。だから、日本滞在中は、顔を合わせる人の話にはできる限り最後まで耳を傾け、伝えるべきことは余さず語るようにしている。
そのため、日本へ行くといつもとにかく忙しくて、肉体への負担も大きいが、滞在期間が限られているからこそ果たせる役割だということもわかっている。こうした多忙な日本滞在を何度も繰り返すうちに、最近は自分の身体の限界もわかるようになり、一日の用件や会う人の数を限定し、無理を感じる場合には直前であっても正直に断るようにしている。
普段、わたしは組織に属して働いてはいるけれど、勤務先の体制も自由なため、役割や立場に縛られることもなく、かなり自由に暮らしている。近所の人たちにばったり出くわすことはあれど、基本的にはV以外の誰とも顔を合わせることなく、大半の時間を一人で過ごしている。誰かに会いたいと思うことも殆どない。
こうして通常は何にも属さず、あらゆる属性からできる限り自由に生きているからこそ、偶に交わる人々に対して、マレビト/メッセンジャー役を果たせるのだろうと思う。そして、このマレビト/メッセンジャーというのはそもそもわたしの本来の性質だとも感じている。運ぶもの、つまり筒/パイプである。