幸せは記憶の中に

幼友達が、わたしにとって特別な思い出となった場所の写真を撮って送ってくれた。母とさくらと共に歩いた中濠の桜並木。いずれ死ぬ時まで、何度も蘇るだろう記憶の中の時間。

あの日、前を歩く母とさくらの後ろ姿を眺めながら、「いつかわたしはこの光景を懐かしく思い返すだろう」と唐突に確信した。あれは今でも不思議だが、やはり本当だった。

恨みも、痛みも、悲しみも味わい尽くし、全部をゆるして、ようやく母との間に誠実で対等な関係を築くことができたあの時期に、短い間ではあったけれど、彼女とさくらと一緒に暮らすことができたのは、まるで贈り物のような巡り合わせだった。きっとあれはわたしにとって、人生で最も幸せな時だったのだと思う。

死ぬまで繰り返し思い出す中で、やがてその感触も変化していくだろう。しかし、あれほどの充足感を味わうことは、この先もう二度と無いかもしれない。そして、それでいいと思っている。幸せとは、喜びや高揚感とは異なるもので、その最中においては案外と煩わしく、実にささやかなものだ。

それにしても、桜の花が咲く頃の日本の風景はまるであの世みたいだ。日本で暮らしていた頃から、毎年夢の中のようだと感じていたが、日本を離れてからは、記憶の中の情景とあわさってますますあの世じみて感じられるようになった。