実家も無くなった今となっては

母のパートナーとは、彼の健康状態や生活状況を尋ねるのと、こちらの状況報告を兼ねて、月に一度ほどのペースでメールを送りあっていた。そんな風に定期的に連絡を取っていた彼ももうこの世にはいないこと、そして、母と彼が暮らしていたあの家にはもう別の人たちが暮らしているということにまだ慣れなくて、不思議な心地を味わっている。

わたしの母は出歩くのが好きで、生前はいつもあちこちへ出かけてはよく写真を送ってきていたし、わたしが帰省すると必ずともにどこかへ出かけた。先ほどXで偶然目にした、よく街歩きをしている人のアカウントには、母から話を聞いたことがある、実家があった街の近隣の場所がたくさん紹介されていた。なんとなく懐かしくなり、思わずそのアカウントの過去の投稿も遡っては、それぞれの場所について母から聞いた話を思い出した。そういえば、母は死の直前まで「〇〇温泉へ一緒に行こう、あそこなら車ですぐやし、一泊ぐらいなら(体力的に)行けると思う」と言っていた。結局実現はしなかったけれど。

母の死後も、母のパートナーが同じ家で暮らしていたから、わたしはあの街へ定期的に足を運んだ。日本へ行く目的の大半はいつも、手続き等の用事も含め、実家があったあの街を訪れることだった。そして滞在中には、以前母とともに出かけた場所や、母と母のパートナーがよく一緒に出かけたという場所を訪ねたりもした。

わたしのGoogleマップには、実家があった街とその周辺にいくつも旗印がついている。今後日本へ行く際に訪れようと思っていた場所だ。しかし、母も、母のパートナーも、実家もなくなった今となっては、あの街でわざわざホテルに滞在してまで、あちこちへ出かける気にはならない。時を経ればまた違う風に思うのかもしれないが。

そんなことを思いながらGoogleマップを眺めているのも、やはり不思議な心地だった。悲しみでもないし、懐かしさや恋しさでもない。わたしの中はもっとしんとしている。

次に何かしら必要な手続きをしに出向かねばならない時(数年すればその時はやってくるが)まで、わたしはおそらくあの街へも、そもそも日本へも、行くことはないだろう。