立春の前に

昨夜は妙に寒いなと感じていたが、横になったらぞくぞくしてきて、これは熱が出るなと思っていたら、やはり発熱。熱が上がる前は悪寒や痛みが伴うが、一旦発熱してしまえばむしろ体感は心地よい。身体の中から燃えているような感じだ。

昨日は突然水洟が止まらくなり、くしゃみを連発していたので、「プラハへ出かけた日にどこかで拾ってきたんだな、身体はそれを排出したがっているんだな」と思っていた。鼻水も、くしゃみも、発熱も、すべては不要を排出しようとする身体の自然な働きだ。

そして、“風邪の達人”である野口晴哉は「四十分から二時間くらいで(風邪を)経過してしまう。クシャミを二十回もするとたいてい風邪は出て行ってしまう。」と書いていたなと思い出した。

立春前に発熱して身体の偏りをほぐし、不要を排出しようとするなんて、身体は実に見事だ。肉体は最も身近な自然だと言うが、まさにその通りだと実感する。身体の自然を信頼し、身体の必要に耳を傾け、身体の心地よさを大切にするのは、自然との共存の基本。

頭を使い過ぎて頭が疲れても風邪を引く。消化器に余分な負担をかけた後でも風邪を引く。腎臓のはたらきを余分にした後でも風邪を引く。とにかく体のどこかに偏り運動が行われ、働かせ過ぎた処ができると風邪を引く。だからお酒を飲み過ぎて絶えず肝臓を腫らしている人は肝臓系統の風邪を引く。ふだん余分に栄養物を摂って腎臓を腫らしている人は腎臓系統の風邪を引く。しょっちゅう心配している人は神経系統の風邪を引く。そうやってそれぞれの人なりの風邪を引くと、その偏って疲れている処がまず弾力性を回復してきて、風邪を引いた後は弾力のあるぴっちりした体になる。
だから風邪というものは治療するのではなくて、経過するものでなくてはならない。しかし経過するにしても、その体の性質をよく知らないとそれができない。それで私はそこから入っていって体壁素質というものを見つけるようになったのですが、とにかく風邪は難しい。大概の人は風邪を引くような偏り疲労を潜在させる生活を改めないで、風邪を途中で中断してしまうようなことばかり繰り返しているのだから、いつまでも体が丈夫にならないのは当然である。まあ風邪とか下痢とかいうのは、一番体を保つのに重要というよりは、軽いうちに何度もやると丈夫になる体のはたらきであり、風邪と下痢の処理ということが無理なく行われるか行われないかということが、その体を健康で新しいまま保つか、どこかを硬直らせ、弾力を欠いた体にしてしまうかということの境になる。本当は愉気法を病気にならない前に使ってゆこうとすると、風邪をどう経過するか、下痢をどう経過するかということが最も重要な問題になる。
風邪はそういうわけで、敏感な人が早く風邪を引く。だから細かく風邪をチョクチョク引くほうが体は丈夫です。だから私などはよく風邪を引きます。ただし四十分から二時間くらいで経過してしまう。クシャミを二十回もするとたいてい風邪は出て行ってしまう。風邪を引いた時のクシャミというのは一回毎に体中が弛んでいく。慣れているから自分で判るのです。そしてそのクシャミが響く処によって、少し飲み過ぎてしまったなとか、少し食い過ぎているなとか、少し頭を余分に使いすぎたなと思う。そして風邪を引いてクシャミをする度に体の使い方を反省する。
野口晴哉『風邪の効用』より