終わりと始まり
人や土地とのつながりも含め、少し長いスパンでの終わりを感じているが、そういえばそろそろ冥王星が山羊座を抜けて水瓶座へ移動するのだった。ジオセントリックでは冥王星は逆行して9~11月に再び山羊座に戻るが、ヘリオセントリックでは5月に水瓶座に移動した後(当然ながら逆行はないので)はもう戻ることはない。
冥王星が山羊座に移動した2008年頃、自分が何をしていたかを思い返すと、元夫と別居そして離婚し、東京へ移住して、母親には住所を知らせずに単独で新しい生活を始めたのだった。思えばあれは、母親(およびすべての母的なもの)からの分離と、自己を回復し再構築するプロセスの始まりだった。
冥王星が山羊座を運行していた間に、自分は虐待を受けていたのだと気づき、自分の中のトラウマや恐れに基づくパターン(囚われ)にどんどん気づいていった。やがては、それまでの生活と選択のすべてが偽りだったと感じられるようになり、仕事も関係もすべてを放棄し、野垂れ死にを覚悟した後、まるで弾き出されるように日本から飛び出した。
日本を離れた後も、自己の崩壊と再構築を重ねた末に、母親との間に立場を超える人と人としての心地よい関係を築くことができた。そうして数年後に母親の死を看取った。そして昨年、母から譲り受けた後約3年間共に暮らしたさくらが旅立ち、母のパートナーも死に、日本にあった母親の家を手放した。
「完結」という言葉が思い浮かぶ。確かに終わったのだという実感。家も無くなったし、「箱」も「壁」も、山羊座的・土的なものはすべて無くなった。改めてこうして振り返ると、冥王星が山羊座を運行していた間よくぞこれほどまでのことをやり遂げたなと自分でも驚くばかりだ。
11~12月に実家を整理して手放すために日本に滞在していた時には、今後も変わりなく定期的に日本へ行くだろうと思っていたけれど、これからはそう頻繁に行くことはない気がする。必要な手続きのため以外に、長い距離を越えて・高い旅費を支払ってまで出向く理由がない。
そして、チェコでの暮らしは安定していて不満はないが、退屈なのもまた確かだ。今後は、ブルターニュとその周辺や、フィンランドを定期的に訪れるつもりだし、他にも通いたい場所が見つかるかもしれない。出かける地も、交わる人々も、変化していくだろう。もう既にそうなりつつある。終わりと始まりは同時進行だ。